富永倫子と行く信州旅・冬 ②

12月11~13日、11人の旅の仲間で二泊三日。信州を旅してまいりました。
富永さんの心に響いた場所の一つが、松本市の「旧開智学校」。
2019年秋に国宝になったばかりです。擬洋風建築の小学校で、明治9年=1876年に完成しました。
時代はまさに文明開化。松本城を中心とした城下町「松本に文明開化を伝えた建物」といえるそうです。
旧開智学校・学芸員の遠藤正教さんに案内していただきました。
20191221-001 20191221-002
洋風と和風がよく混ざっている“擬洋風建築”の代表作といわれる中でも、正面の部分に特にその要素が集中しているそうです。
龍と天使の彫刻が、建物の象徴となる正面に、派手というか独創的というか…大胆というくらいストレートにこのデザインを詰め込むなんて、今でもなかなかできないだろうと。
その大胆さゆえ、愛媛、静岡、山梨などに多く残る擬洋風建築をぶっちぎっての国宝なのかもしれません。
「龍が一生懸命勉強すれば、雲を突き抜け、天使のいる天井に舞いあがることができる…」と、登竜門伝説と天国が合わさった意匠なわけでもございます。
「これからの時代は、勉強をがんばれば、身分制度がないので、自分の力でいい暮らしができるようになる、国のために役に立つとか宣伝されていました。
よって、松本の人々の学校に対する期待も非常に高かったんです。
これからの時代を担う子供たちを育てるために、巨額の金をかけて、それを自分たちで払って学校を建てたんです。
旧開智学校の建設費は当時の金額で約1万1千円。現在だと約2億円のうち7割を地元の人々が出しているんですね」と、遠藤さん。
20191221-003 20191221-004
それにしても、旧開智学校がここまで突き抜けた擬洋風建築になった理由として、遠藤さんは、
① 場所が城下町の中心地だったので、学区内に大商人が多く、資金がたくさん集まった。
②明治9年という、文明開化の一番いい時期にできている。(明治10年には、もう文明開化が下火になる)
③作った大工の棟梁=立石清重の技術が高かった…ということを挙げてくださいました。
また、立石清重の残した詳細な記録資料から設計の過程までわかることも、国宝指定の下支えになったそうです。
校舎内には、木製の机といすが並べられており、母校を思い出した富永さんもごきげん。
20191221-005
しかし、遠藤さんが再現してくださった、明治時代のハイレベルな授業には脱帽でございます。
20191221-006 20191221-007
また、旧開智学校では日本初の能力別学級編成や、就学できない子供(丁稚奉公、芸者・料理屋見習いなど)のための特別学級、体の弱い子供のための林間学校などが行われていたそうです。
なかでも、子守奉公に出されていた子供たちのために、通常の授業の放課後に授業が行われていた『子守教育』の卒業生の答辞には、心を打たれます。
当時、近隣の岐阜・富山・新潟・愛知あたりでは「松本に子守の仕事に出せば、学校に通える」と、うわさが立ってたほどだったそうです。
「すべての子供に教育の機会を…」と考えていた当時の大人たちの心意気が形になったのが旧開智学校なのだと思います。
教育、学ぶ、ということに興味のある人には絶対訪れていただきたい場所です。
旧開智学校のお隣にある現在の開智小学校の生徒さんが作った『顔はめボード』も楽しい!
20191221-008 20191221-009
(放送を聞く)

□ 旧開智学校 → 
http://matsu-haku.com/kaichi/
□ 新まつもと物語 → 
https://visitmatsumoto.com/
□ 長野県公式観光サイト → 
https://www.go-nagano.net/
□ 西日本新聞旅行 → 
http://www.nnpryoko.co.jp/
□ FDA フジドリームエアラインズ →
http://www.fujidream.co.jp/

0 Responses to “富永倫子と行く信州旅・冬 ②”


Comments are currently closed.