真田幸村(信繁)の兄・真田信之が真田の家の実を残した地、それが長野市松代です。
ちなみに九州とのご縁もあって、10代目藩主は大村藩から奥さんをもらってます。
あと小倉藩と一緒に、ペリー来航時に横浜の接待所の警護にあたっていたとのこと。
その松代の城下町を、まつしろ文化財ボランティアの会・宮澤惠夫(しげお)さんの案内で歩きました。
松代には武家屋敷が点在して残っています。武家屋敷で国の重要文化財指定を受けた5つのうちの一つが松代にあるとのこと。
そんな街並みのなかで格別の存在感があるのが「真田邸」。ずーーーーっと続く壁で規模がわかるでしょう。
ここは殿様のお母様のために作られたお屋敷です。
文久2年にいきなり「参勤交代制度緩和!」ってんで、「江戸屋敷にいる奥方さまが地元に戻るぞ~。
お住まいがないぞ~。」と大慌てで作られたそうです。
250年帰ってきたこともない、見たことすらない松代に戻る、いや来るって、そりゃあたいへんですよね。
ま、お迎えする方はもっとたいへんでしょうけど。
しかも、すぐに緩和が取り止めに名ちゃって、結局お母様がお住まいになられたのは2年だけ。
そのあとは隠居なさった殿様のお住まいになり、明治維新後は真田子爵・伯爵の家になりました。
女性のためのお屋敷なので、松葉模様が美しい壁紙や宝袋型の釘隠しなどが配されています。
畳敷きのお手洗いや板張りのお風呂場も残されてますよ~。
寒い土地柄ですから、各部屋にこたつが立てられるよう炉が(?)切ってあるのが特徴です。
さらに象山を借景にしたお庭がすてきです。
真田邸のすぐそばの「文武学校」も見どころです。
江戸時代の藩の学校の様子が見事に残っていて、TVや映画の撮影にもよく使われています。
藩主も重臣も家来の子も出入りするので、玄関も学び舎もランク分けされています。
廊下にも戸があって、中級武士以上しか入れない、さらに家老以上しか入れないエリアもあるんです。
一番奥は殿様しか入れない空間が!殿様が家老と話したいときは「近う」と言って呼び寄せます。
その距離、畳2枚分=一間分です。結構離れてますよ、これ。いろいろたいへんだ。
ちなみに、殿様とお会いして目が合わせられる=話せる距離に近づけるのが「御目見え」で、そんなことできない距離の人たちが「御目見え以下」なんだそう。
なお、年に2回、殿様の前でテストが、つまり口頭審問が行われていたそうで、ここでの出来が悪いと城からいただくお米=禄高が変わってしまうという、家の名誉と実をかけた試験だったんだそうですよ。
試験日には父兄が付き添ってきて、各式順にずらっと並び、子どもが変な答えをしちゃったら、父兄は自ら謹慎したってんだからおそろしい。
やっぱりガイドしてもらいながら歩く城下町は、わくわくと「へえ」がいっぱいです。
□ 松代観光情報 → http://www.matsushiro-year.jp/
□ ながの観光コンベンションビューロー → http://www.nagano-cvb.or.jp/
□ FDA フジドリームエアラインズ →
http://www.fujidream.co.jp/