4月半ばに咲く高遠の桜で有名な「高遠城址」。あの桜はタカトオコヒガンザクラという、赤みを帯びてやや小ぶりの桜だそう。しかし、桜の季節以外は、戦国の歴史ロマンを感じられる名所としてのおすすめスポットなのです。高遠町歴史博物館館長の北原紀孝さんに案内していただきました。
高遠城は、南北朝時代は諏訪の高遠氏が治め、その後は武田信玄、そして江戸に入ってからは保科→鳥井→内藤と殿様が変わりました。注目の戦国時代、武田信玄が高遠を手に入れた後、家臣に命じて、城の拡張改築の鍬立てを行っています。その時築城に関わったのが山本勘助と伝わっていて、今も勘助曲輪(かんすけぐるわ)と呼ばれるエリアがあるんです。
この城の最大の戦いは、1582年の武田勢と織田勢の戦。信玄の五男で養子に出された仁科五郎盛信が守る高遠城に、信長の息子・信忠が攻め込みます。攻める織田勢5万に対し仁科勢は3000人。「一日で終わった戦でしたが、武田の臣下は壮絶な戦いを繰り広げ地元では賞賛されました。盛信は最期は腹を切って敵にはらわたを投げつけた、という話があるんですが、”だから高遠の桜は赤い”なんて作り話があるくらい」と、北原館長が教えてくれました。他にも、矢を作るための笹=矢竹が今も残っている笹曲輪があったり、深く掘られた壕も残っています。戦った城の持ち味ですねえ。薬研堀(やげんぼり)のお濠の上には木で作った橋を架け、戦いのときは外した、なんて話を聞きながら城跡を見て回ると、わくわくもひとしおです。北原館長は高遠の魅力について、「四季折々の変化が明瞭なことですかね。人間、心の準備、生活の準備をしなくちゃならないから。とり入れが終わったら、冬に暖をとる用意をしとかなきゃならない。先を見てやる、変化やけじめがしっかりある、そういう感性を磨ける場所じゃないのかな。そんな気がするね」と、おっしゃってました。-10度~+5度というように冬だけとっても寒暖差が大きな伊那。その気候が『かんてん』などの特産品を生み出しているのではありますが、なかなかすごいところです。
□ 高遠城址公園 → http://www.ta-ka-to-o.com/
□ FDA フジドリームエアラインズ → http://www.fujidream.co.jp/