地名でおもしろい場所のひとつが、長野市の鬼無里。諸説あるようですが、メジャーなのは「鬼女・紅葉(もみじ)伝説」です。鬼無里と名付けたのは京の都の方々。お話はこんな風です…。
会津に生まれた女子、幼名・呉葉(くれは)、のちに紅葉。彼女は15の歳に京に上り、得意の音楽で生きておりました。紅葉の奏でる琴の音を偶然聞き惹かれた源経基(みなもとのつねもと)の妻に見出され、経基の家に入ります。やがて、経基本人の寵愛を受け側室となりますが、「側室のままではおもしろくない。正妻になりたい」と、経基の妻に対して呪いごとをかけたため、それが露呈し捕らえられます。死罪に罰されるところでしたが、身ごもっていたため、戸隠へ流刑の身となり、この地で居をかまえました。それが紅葉20歳の時です。彼女はこの地で、村の人々に読み書きなどを教え、病を治したりし、また村人はお内裏さまと彼女を慕い住まいや食べ物のお世話をしました。紅葉は都への思いをこめて、自宅の東を東京(ひがしきょう)、西を西京と呼び、町も二条・三条・四条・五条と、川を加茂川と名付け、京の都になぞらえて過ごしました。(今でも地名はそのままです。春日神社や賀茂神社もあるんです。)やがて、生まれた子供が成長し元服をする頃になると、軍を組織して都へ上ることを決意します。その噂を聞きつけた都では「紅葉が都を怨んで攻め上ってくる。しかも鬼女になっている。」と、勇将・平維茂を討伐に向かわせ、紅葉を討ち取ります。そこで都ではこの地に「鬼がいなくなった。鬼の無い里だ。」といって、以後、鬼無里という地名になった、ということです。
この話を教えてくださった松厳寺のご住職は「都から見れば紅葉は鬼女(きじょ)でしょうが、この里のものから見ればすばらしい女性=貴女(きじょ)だったと思いますよ。親切で知恵をくれた人ですし。今でも彼女が名付けた地名を使い続けているのがひとつの証拠ですよね。極悪人のつけた地名は、いくら純朴な村人でも使わないでしょう。才能のありすぎた、美しすぎた、一人のすばらしい女性の物語だろうと思うんです」とおっしゃってました。この説に私も賛成。
なお、松厳寺には、この物語の絵巻から作った絵解説が並び、紅葉を討ったといわれる刀や紅葉を供養したお墓もあります。
□ 鬼無里観光協会 → http://www.odeyarekinasa.jp/
□ 戸隠・鬼無里伝説 → http://www.s-togakushi.com/