ガイドと歩く!奈良井宿

塩尻市の奈良井宿は、江戸時代、京と江戸を結んだ中山道のちょうど真ん中の宿場町。
ここには、今も、宿場町時代の町並みが残っています。国の伝統的建造物保存地区にも指定されています。
通りの両側に茶色い木造の2階建てがずら~っと並ぶその様は、奥のほうから八っつあんが「てえへんだ!てえへんだ!」とか言って走ってきそうな感じです。
この町を、奈良井宿観光ガイドの青木義利さんにあんあいしていただきました。
取材時、御年81歳。しゃきしゃき、お元気な80代です~。
180526-001 180526-002
1階より2階が前に張り出した「出し梁づくり」や、屋根板を横に並べて階段状にしたのが鎧のように見える鎧ヒサシ、格子の戸など、一軒一軒わくわくする家の造りが並びます。
「約1kmにわたり、330戸、町並みが続いてるんですよ。とても長ーい宿場でしてね。
木曽でも一番大きな宿場になってる。一番古いんですよね。」と、青木さん。
大きく上町・中町・下町に分かれている奈良井宿ですが、上町は櫛の製造を中心とした職人町、中町は「旦那衆の町(by青木さん)」、下町は主に曲げ物=『めんぱ』の製造を中心とした漆職人の町だったそうです。
下町の人々が分家したり、のれん分けしたりして木曽平沢の漆職人の町ができたそうです。
上問屋資料館の「上がり框から板の間を隔てて両サイドに廊下が付いてて、建物の中に庭がしつらえてある」のをのぞいたり、
180526-003 180526-004
今も宿を営む“伊勢屋”の「間口がどの家より広く、9尺間口なのは、馬や牛が一緒に入っていけた宿だったから」というのを教えてもらったり。
180526-005 180526-006
今はおそばやさんの“徳利屋”さんは、江戸時代は大きな穀問屋でした。後に旅館になったそうです。
「徳利屋が旅籠の時代に、小諸から教員として赴任して木曽路に入った島崎藤村が、小説家を志して旅して、ここへ逗留して、ここで『夜明け前』を執筆したと言われております。」と、青木さん。
「十返舎一九とか、正岡子規とか、文人墨客が多く訪ねた宿です」とも。
市の有形文化財に指定されていて、中は改修されず、昔のままの状態でご商売をなさってるんだそう。
次は中に入ってみたいなあ。
180526-007
この奈良井宿の特徴のひとつが、寺が多いこと。1km330戸の山辺に5つのお寺があります。
これらの寺は、参勤交代の際に本陣…大名の宿舎として使われたそうです。そのなかでも特筆すべきは『長泉寺』というお寺。
「どんな大名行列より格上とされた、ある行列が泊まった宿」なんだそう。「正式には宇治採茶使。またの名を“お茶壷道中”です。
格式の高いもので、お駕籠に清水の大きなツボを載せて、“下に~、下に”と、行列しるんです。
そのお壷さまにみんな、土下座しとったんですね。松本清張の西海道談綺の説によると、400人の行列、その後ろに馬が110頭付いたというんです。
その馬110頭に、信楽の壷を3つずつ長い杉の木箱に収めて、馬の背に乗せて運んだといいます。」と、青木さん。
さらに、このお茶壷道中を唄ったのが、わらべうたの『ずいずいずっころばし』だそう。
♪ずいずいずっころばし、ごまみそずい。茶壷に追われてとっぴんしゃん。ぬけた~らどんどこしょ♪は、「“やあ、お茶壷道中が来たぞ~!家に入って、戸を閉めて、静かにしてなさい”っていうこと。
ぬけたらどんどこしょ…は、行ってしまったから、さあ、表へ出て遊びなさい。
…これねえ、お茶壷道中を風刺した歌だとは、わりあいみんな知らないんだよね」と。青木さん!そうだったんですね。
「これがなかなかうるさい行列でね。10日前から香を焚いちゃいかん、とか。昔は薬膳として香を嫌ったからね、お茶は。
それから、宿場の中で屋根から煙が出てれば、囲炉裏の火を落とせ、と。」
うわあ。すごい。お茶壷道中は奈良井宿を抜けて下諏訪へ出て、甲州街道へと入ったそう。
甲斐の国で預かられ、富士山の溶岩をくり抜いた氷室で貯蔵して熟成させ、必要に応じて江戸に運ばれたんだそうです。
180526-008
往時を忍ぶ「奈良井宿宿場祭」が、毎年6月の第一金・土・日に行われ、日曜にはお茶壷道中の再現もなされるそうですよ~。

□ 奈良井宿観光協会 → 
http://www.naraijuku.com/
□ 塩尻市観光協会 → 
http://www.tokimeguri.jp/
□ FDA フジドリームエアラインズ →
http://www.fujidream.co.jp/

0 Responses to “ガイドと歩く!奈良井宿”


Comments are currently closed.