長野市・松代 真田宝物館

昨年の大河ドラマで、さらに知名度を上げた戦国武将・真田一族。
父・真田昌幸が『なんとしてでも家を残す』と計画して、兄弟を徳川方と豊臣方に分けて戦った結果、残ったほう=兄・信之が移封され、幕末まで真田家が藩主を務めたのが松代藩。
真田家は、250年にわたり松代を統治することになります。
昭和41年に真田家から町に寄付された武具、調度品、書画、文書などの大名道具を保存・展示しているのが『真田宝物館』です。
松代文化財ボランティアの会の半田祐子さんに案内してもらいました。
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まず驚いたのが「真田信之公は長生きなさったんです。93歳まで生きて、91歳まで自分で藩の中心にいたんです。殿として。その間に将軍は4人も代わってるんです。“信之は天下のかざりにて候”と言われた…戦国時代を知っている唯一の武将だったということでしょうね」という半田さんからの情報。
おおお。江戸初期の93歳って…。もう妖怪の領域ですねえ。戦国時代を生き抜いただけでもすごいことなのに…。
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宝物館は年に4回の展示替えがあるそうです。5万点も資料があれば余裕ですね。収蔵品は宝物館そばに残る『真田邸』から移されました。
この真田邸、参勤交代と妻子の江戸住まいの強制が緩んだ時に国元へ帰された藩主のお母さんのお屋敷として建てられたものでした。
土蔵が7つあって、そこには戦国時代から伝わる真田家のお宝がすべて入れられていたそうです、それがまるっと宝物館にあるので、昌幸公の具足や、武田信玄・豊臣秀吉・石田三成・徳川家康らの書状を、今、私たちが見ることができるのです。
今回展示されていたものの中に信之さんが書いた書状があったのですが、その文字はきちんと真っ直ぐ芯が通ったようなイメージです。
弟・信繁さん(幸村)の字は空間を含んだような明るい印象の文字に見えました。
お父さん・昌幸さんのは花押(かおう・サインみたいなものです)しかないんですが、これがもう立派!勢いがすごいんです。
でも、昔のお手紙の内容って、解説とずれてて全然読めないんですよねえ。と、思っていたら半田さんが「これ“なおなお書き”っていっていいます。
昔って紙がとても貴重でしょ?だからまず本文を書いて、追伸があったら、それを本文の間に書いていくんです。これが、ただでさえ読みづらいのをより難しくしてるんですよねえ」「え?じゃあ、この若干太い文字の行が本文?」「そうそう。追伸部分の“なおなお書き”は、本文の間の行にあるちょっとうすめの文字の行です」と、教えてくれました。初めて知りました~。
また、九州に関係のある文書も展示されてました。秀吉が朝鮮出兵のため名護屋城に戦国武将を集めた時、真田家にも「500人の兵隊を連れて九州まで来い」という命令が下っています。
その際に信之さんが家臣にあてて出した手紙です。「いつものごとく、赤武者で、…指物も赤だよ、ほろも赤だよ、と…そういう風にして出陣しなさいっていう命令の文書なんですよね」と、半田さん。
おおお、やはり真田家は赤備え!
さらに信之さんが使っていたと言われる甲冑も展示されていました。
「戦国時代末期、こういう唐の要職に就いている人がかぶっていた唐冠を模して作った兜なんですよね。豊臣秀吉もこういうのがとっても好きだったということなんですけどね。兜には前立てを付けるのが主流なんですが、代わりに後立てというものが付いていて、唐草模様の間に六文銭が施されています。
これ、縅(おどし)の糸が萌木色なので『萌木糸縅の具足』と言われてるんですけど、実はこれ紺色だったそうなんです。
でも真田家が享保年間にちょっと直したそうです」と、半田さん。
やっぱり、ガイドさんと一緒に見学するとおもしろい!ぜひ、真田宝物館はガイドさんと堪能してください。
この冬には、ボランティアガイドさんたちが選んだ収蔵品の展示も予定されているそうですよ~。
仕上げの体験コーナーもそこはかとなく楽しい!
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□ 真田宝物館 → 
http://www.sanadahoumotsukan.com/
□ 信州松代観光情報 → 
http://www.matsushiro-year.jp/
□ ながの観光コンベンションビューロー → 
https://www.nagano-cvb.or.jp/
□ FDA フジドリームエアラインズ →
http://www.fujidream.co.jp/

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