Monthly Archive for 9月, 2013

一茶が訪れた豪商の館・田中本家

小林一茶の俳人としての評価が高まり、その晩年は各地に招かれることも多かったそうです。俳句の同人だったり生徒だったり、お金持ちだったり…。今でいう「講演会」の先生みたいな感じでしょうか?
一茶が招かれ滞在した場所のひとつに、北信濃の須坂市にある田中本家があります。ここは江戸時代から穀物問屋で味噌・醤油・酒なども扱う豪商だった家で、現在は江戸時代から残る建物を活かして「田中本家博物館」を運営しています。江戸時代から現代までの道具類(長押や各種たんすなど)・駕籠に衣装・漆器・陶磁器・文具・玩具、さらに古文書まであって、何度訪ねてもおもしろいところです。今回ご案内は、田中本家博物館の学芸員で田中家の息子さん、田中和仁さんにお願いしました。
 

「すずしさや縁(えん)からすぐに川ちょうず」
これが、一茶が田中本家で詠んだ句です。和仁さん曰く「一茶が田中家に泊まった翌朝に詠んだ句らしいんです。屋敷の縁側から出てすぐ目の前に大きな池がある庭がありまして、朝のすがすがしい気分を呼んだのでしょう。“川ちょうず”というのは、寺などにある手洗いのことを指しますが、この句では庭の池のことを指しているのでしょう」と。一茶が泊まったお屋敷は明治3年の家事で消失してしまったそうですが、お庭はそのままだそう。配された木々も石も変わってない、一茶が当時見たであろう庭を、今、私たちも見ることができます。和仁さん自身もこの「大庭(おおにわ)」「秋の庭」と呼ばれる庭が一番好きだそうで、「秋の紅葉は特にいいんですよ。大杯(おおさかずき)と呼ばれる大きなもみじがありまして、朱塗りの杯をイメージさせるような、大きな真っ赤な紅葉になるんですよ。ドウダンツツジもいい色になりますねえ」と、おしゃってました。田中本家の庭の紅葉は11月になったくらいが見ごろだそう。10月は周囲の山々の紅葉シーズンなんですって。
 

また、今年は博物館開館20周年記念なので、特別企画も目白押しです。12月2日までは「豪商の花嫁 伝来の婚礼衣裳」と題して、代々のお嫁さんが着た婚礼衣裳が展示されます。これがもう、ほんっとうに見事なんです。女性必見!ですよ。美しさにため息をつくと同時に、江戸時代の職人技に酔いしれていただけます。
  

さらに10月は、江戸時代田中本家四代目の婚礼記録に基づいた婚礼料理をいただく食事会も企画されています。スペシャルな食器も使われるそうですよ~。
田中本家の喫茶では、残された古文書にしたがって再現された江戸時代の食事もいただけます。殿様に出された「やまどりのお雑煮」は予約無しでもいただけます。物品だけでなく古文書までしっかり残されているのが田中本家の特徴で、学術的な価値の高さを生み出しています。で、私たち庶民は見て、食べて、その恩恵にあずかれる、と。
□ 田中本家博物館 → http://www.tanakahonke.org/
□ 小林一茶生誕250年 → http://www.issa250.com/
□ FDA フジドリームエアラインズ → http://www.fujidream.co.jp/

 

信州のソウルフード「こねつけ」「にらせんべい」

信州の郷土食といえば『おやき』!と思ってましたが、実はおやきよりさらにご家庭食として馴染んでいるメニューがあるんです。それが『こねつけ』。「こねつけは、ばあちゃん・かあちゃんが作るモンで、普通はほんとうに親しい人にしか出さないモンなんだよ。よそからわざわざ来た人にこんなん出したら笑われちゃう。まず、おやきや栗中華(栗入りドラ焼きみたいなお菓子)とかでもてなして、こねつけは内内で食べる時のものだよ、どっちかってーと。」と、教えて下さったのは、須坂市の「つたや菓子舗」ご主人の田中孝芳さん。「その家によって形がある。決まってねえから」という『こねつけ』。つたやの場合は子供の手のひらくらいの大きさの丸型です。「残りごはんに粉入れて、こねつけて、甘味噌をはさんでふかして焼く。残りごはんを上手に使うって感じだな」と、田中さん。食べてみると、ちょっとご飯粒の食感が残った(いわゆる半殺し状態のごはん)食感がやさしくて、甘味噌の味との組み合わせに心が和むおいしさ!
また『にらせんべい』は、硬いパリパリしたイメージのせんべいではありません。手のひらサイズのお好み焼きみたいなおやつです。小麦粉を溶いた生地に味噌とニラを入れて焼く。これが、おいしいんです。もちもちしてて、香ばしくて、最高!ニラの香りもいい感じ。ちょっと韓国のチヂミに似てるかも。
 

ご家庭食の『こねつけ』『にらせんべい』を販売している「つたや菓子舗」は、一番初めにおやきを店で売ったとも言われているそうです。もともと、おやきは和菓子屋さんの夏場、商売が冷える時に作って売り出したのがはじまりで、おやき屋というのがあったわけではなかったそう。そして、この須坂ではよく売れたのだといいます。その背景について田中さんは「須坂は、精密機械の前、製糸業…繭のころから女工さんたちがすごく多かった場所で、他の土地、群馬や新潟から来てこのへんでアパートみたいにして住んでて、人口がすごくあったんです。よって、簡便に食べられるファストフードとしておやきが根付いた場所なんだね。実はこの土地にはパン屋さんがあんまりない。最近は少し増えたけど“パンは難しい”ところ、チェーン企業が進出してきて一番売れない場所って言われてる。おやきが一番売れるんだね。で、家に帰ればこねつけとニラせんべいがある。」と教えてくれました。おいしいだけじゃない、郷土食やおやつにもドラマがあるんですねえ。おいしくほおばりながら信州須坂の街の歴史に思いを馳せてみました。
おやき、こねつけ、ニラせんべいなど通販もありますが、ここはぜひ、現地でチェックしてくださいね。
□ 須坂市観光協会 → http://www.suzaka-kankokyokai.jp/index.php
□ FDA フジドリームエアラインズ → http://www.fujidream.co.jp/

 

一茶も芭蕉も詠めなかった(笑)姨捨の…

小林一茶の「そばどきや月の信濃の善光寺」
松尾芭蕉の「おもかげや姥ひとりなく月の友」
二人の句や、歌川広重の「田毎の月」を描いた『信濃更科田毎月鏡台山』という浮世絵で全国に名月の里として有名になった姨捨。しかし、彼らには表現できなかった姥捨を私たちは楽しむことができます。それが、姨捨の夜景!ビューポイントは、やはりJR姨捨駅!眼下に広がるきらきらがすてき。派手な感じではないのですが、空気がキレイ、かつ湿度低めだからこその細やかなキラメキ感なんですよ~。こんなところで信州の空気の透明さの恩恵を発見するとは思ってもなかったです。真中に黒い帯が見えるのは千曲川。お昼の景色と見比べるのがいいですよ~!
 

地元では姨捨夜景ツアーも組まれていますので、ここは地元=戸倉上山田(とぐらかみやまだ)温泉に泊まって、じっくり夜景を満喫しましょう。私を案内して下さったのは、戸倉上山田温泉「亀清旅館」の若旦那=タイラ―・リンチさん。アメリカ出身のブルーアイ。身長2m!亀清旅館の娘さんのお婿さんです。大学で日本語を学び(もちろんアメリカ)、日本で仕事もしていたタイラーさんのしゃべりはパーフェクト!なだけでなく、地元のお祭りに参加するのに練習した太鼓も叩けるし、夜景案内中にホラ貝を吹いてくれたり…。芸達者です。跡継ぎがいないので亀清旅館を「もう閉めてしまおう…」となったところを「こんな、日本文化そのものみたいな宿を潰してしまうなんてもったいない!」と、嫌がる妻=亀清旅館の娘を説得して来日。若旦那業が始まったんだそうです。旅館のそこかしこには、日本をこよなく愛するタイラ―さんが自ら手掛けたリフォームやオブジェ、壁などなどがあります。なんてったって、露天風呂まで作っちゃってますから(笑)。私が宿に着いた時、壁の漆喰を塗ってましたもん。すごいぞ、若旦那。
 

また、地元の歴史や伝説もたくさん教えてくれました。まずは有名な「姨捨伝説」。あれは、昔々…貧しくて食べ物も足りなかった時代のこと。この地域を治める殿様が厳しい人で、「仕事をしないのに食べるのはダメだ。70歳をすぎたら山へ捨てろ」と命令を出します。それに従って、ある村人は母を背負って泣く泣く山を登ります。途中、気が付くと、母親が木の枝を折って捨てています。理由を問うと母は「山は登るときは大丈夫だが、帰りは気をつけなくてはならない。お前の帰り道の目印に枝を落としているのだ」と答えます。こんな、優しい母を捨てるなんてできない!と、母を背負ったまま、枝を目印に帰宅し、母を隠しました。しばらくすると、殿様からお触れです。山向こうの殿様が「自分の出す問題に答えられなければ、攻め込む」と、宣戦布告してきました。その問題は「海のホラ貝の中に、どうやったら糸を通すことができるか」でした。誰も解けなかったその方法を教えたのは家に隠していたお母さん。(方法はJR姨捨駅にあります)殿様に褒められた村人は「褒美は何がいいか」聞かれ、答えを教えてくれたのは70歳の母だということ、捨てるなんてできないことを申します。殿様は年配者の智恵を理解し、姨捨命令を取りやめたのでした。
また、戸倉上山田温泉ちかくに「笄(こうがい)渡し」という名の場所があります。戦国時代、村上義清は武田信玄と激しい戦いを繰り広げておりました。しかし、居城の葛尾城が陥落。奥方とは別れ別れに城を後にします。奥方は義清の命に従い、数人の供と一緒に着のみ着のままで支城の荒砥城を目指します。千曲川まで来た奥方一行、船頭に理由を話したところ快く引き受けてもらえ、無事に対岸にたどり着けたということです。わが身の危険を顧みず助けてくれた船頭に「何も持っていないけれど感謝の気持ちを」と、髪に刺していた笄(こうがい)=かんざしのようなもの=を贈りました。奥方を偲んで、この渡しを「こうがいの渡し」と呼ぶようになったそうです。
さらに、奥方、荒砥城に登る途中、智識寺という十一面観音(国重文)のあるお寺の坂にさしかかります。そこから、夫と別れた葛尾城に昇る煙を見て「ああ。ダメだったのか…」と涙を流しました。それで、この坂の事を「女涙坂(おんなみざか)」というようになったそうです。
実は、村上勢は逃げて謙信のところに行き、その後の川中島の戦いへとつながっていく…ということだそう。「戸倉上山田から全部の山が見えるんですよ。“昔、こんなことあったなあ”と、考えられるのがおもしろいんですよ」と、タイラ―さん。…おそれいりました。まさかアメリカ人に戦国時代を教わるとは…。
 

そして、タイラーさん曰く「これこそがCOOL JAPANなんですよ!」と手放しなのが戸倉上山田の商店街=街並みです。チェーン店とかなくて、こだわりのお店が多くて…。タイラーさんが思う世界一おいしいおやきの店や元芸者さんが切り盛りする焼鳥屋さんなどなど。外国人にとっては、浴衣のまま下駄をはいて外にでかけられるのが「夢のよう」なんですって。英語できなくても盛り上がる接客わざなど、すばらしいそうですよ。私も、夜、タイラーさんオススメの射的屋さんに遊びに行きました。お祭りの屋台のイメージの射的。常設店は初めてかも(笑)。戸倉上山田には3軒あるんですが、長野県全体で6軒だから半分の店が戸倉上山田にあるんですね。ちなみに全国では50軒くらいだそうです。同行スタッフ曰く「なんか森繁久弥の映画“社長シリーズ”に出てきそうな雰囲気だよねえ」という空気感。戦国ロマンと昭和レトロ、両方楽しめるおもしろい街です。

□ 千曲市観光協会 → http://chikuma-kanko.com/
□ 亀清旅館 → http://www.kamesei.jp/kannai.html
□ 小林一茶生誕250年 → http://www.issa250.com/
□ FDA フジドリームエアラインズ → http://www.fujidream.co.jp/

   

一茶も詠んだ名月の里・姨捨

「そばどきや月の信濃の善光寺」
小林一茶のふるさと・信濃町にある「一茶記念館」学芸員の中村さんに教わった、信州のCMのような句を確かめに、まずは名月の里・姨捨(おばすて)へ。姨捨の絶景ビューポイントは、JR姨捨駅のホームなんです。大正時代のつくりの趣のある駅舎は、スイッチバックのある駅として鉄道ファンにも人気の場所です。しかも日本三大車窓に選ばれているとか。足元には棚田が段々に連なり、その向こうに長野市内を含む平地=善光寺平が広がっています。姨捨のことを、千曲市教育委員会文化財センター所長の矢島宏雄さんに教えていただきました。姨捨というのは、古く平安時代から月の名所として和歌に詠まれているところだそう。姨捨駅のホームからちょっと右の方を見ると鏡台山(きょうだいさん)という山があります。そこから中秋の名月が昇ってくるそうで、それゆえに月を鏡に、山をその支えに見立てて「鏡台山」と名付けられたといいます。9月の中秋の名月の時には、眼下に棚田、その向こうに千曲川から善光寺平、鏡台山から月が昇る…という景色が見られるのだそうです。
 

 

「おもかげや姥ひとりなく月の友」
これは、江戸時代1688年に姨捨を訪れた松尾芭蕉の句です。一茶の100年ほど前の時代ですね。この芭蕉の句と、歌川広重の「田毎の月」を描いた『信濃更科田毎月鏡台山』という浮世絵が、名月の里・姨捨を全国に広めました。広重の絵は水の張られた棚田の一枚一枚に丸い月が映りこんでいる様子を描いています。しかし、矢島所長曰く「実際にはありえない景色なんです。でも、あの絵が田毎の月のイメージを作り出しました。」上から見下ろして、全ての棚田に月が映ってるなんてありえないのだそう。「一枚一枚、どの棚田を覗き込んでも、それぞれ見る田んぼごとに月が映っている…というのが実際で、それを一枚の絵に仕上げた時に全ての田に月がある状況を描いてるんです」と。なるほど!広重のイメージの結集が『信濃更科~』なんですね。なんだか感動。
□ 信濃 更科田毎月鏡台山 → http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1308327

 

しかし、この姨捨の棚田は見事です。40haに1500枚の大小の田が段々に並んでいるといいます。姨捨の棚田の特徴の一つは、市街地に接しているということだそう。普通は山を登っていって谷あいに開かれていることが多いのですが、姨捨の場合は市街地に接したところに広がっていて、しかも鉄道の駅や高速道路がすぐそばにあって、交通の便がいいというめずらしい棚田なんですねえ。もうひとつの特徴は、あぜ。九州の棚田は、石垣を積んで段を作っていますが、姨捨は石じゃなくて土のあぜなんだそうです。これは東日本の棚田の特徴だそう。おおお。確かにそうです。福岡に帰って、棚田の確認をしたくなりました。1500枚の棚田のうち「四十八枚田」とよばれるエリアは、上の田んぼから下の田んぼへ、田から田へと「田越し」という方法で水が入れられているそうです。イメージとしてはシャンパンタワーみたい!上のグラスから注いだ液体が下のグラスへとつたって流れていく感じ。また、中には幅50cm、長さ1mくらい、稲が20株くらいというちいさな田もあって、かなり感激モノです。棚田の中は歩いて散策できますので、ぜひぜひおすすめです。
□ 千曲市観光協会 → http://chikuma-kanko.com/
□ 小林一茶生誕250年 → http://www.issa250.com/
□ FDA フジドリームエアラインズ → http://www.fujidream.co.jp/

 

 

小林一茶と善光寺

「そばどきや月の信濃の善光寺」
信濃町にある一茶記念館学芸員の中村さん曰く「信州の名物=そば、信州の仏様=善光寺、そして姨捨の中秋の名月と、信州のCMみたいな句を詠んでいるところがおもしろい」という句。実際に一茶は、頻繁に善光寺を訪れていたようです。一茶の信心深さもありますが、善光寺には一茶の俳句仲間や、一茶をを慕う人々が多くいたからだったようです。
今は句碑が作られているので、善光寺さんにお参りしながら一茶に思いを馳せる事ができますよ。そういえば、善光寺の本堂の落成は1707年ですから、一茶が見た本堂と同じものを私達も見る事ができてるんですよ!しまった。帰ってきてから気づいちゃった。本堂東側の公園には、
「春風や牛に引かれて善光寺」
「開帳に逢ふや雀も親子連」
の句碑があります。6月に訪れた時は、公園内に珍しいあじさいが咲いていたり、山門と大勧進の間の池にこれまた珍しいというハスの花が咲いてたりして、「お朝事のために早起きしてよかった~」と思えるごほうびでした。善光寺は、毎朝日の出の時間に合わせて法要が行われます。一番早いのは夏至以降の朝5時半。遅いのは冬至以降の朝7時。1分単位で変わる時期もあるので、要確認です。また、お朝事法要の導師をお勤めになる二つの宗派の御住職さんが、本堂前に並んだ参詣の人々の頭に数珠を触れてくださる「御数珠頂戴」という、ありがたい儀式もありますので、やっぱり、善光寺は早朝!なのですよ。
 

 

「花の世は仏の身さえおや子哉」
この句碑は「刈萱(かるかや)山・西光寺」にあります。場所は、善光寺からJR長野駅まで、一直線にすとーんと参道=メインストリートがあるのですが、そのやや駅に近いところ。実は、西光寺、九州と関係のあるお寺です。この寺を開いた人が九州の人なのです。約800年前、筑紫国の広範囲を治めていた加藤左衛門尉重という人が、世の無常を感じ、京へ上って出家。さらに高野山に入りました。国に残された妻は、息子石童丸を産みました。13歳になった石童丸は、一度も会った事のない父を慕って高野山を訪ね、それらしきお坊さんに出会います。しかし、「尋ねて来た父は既にこの世にはない」と、その人=父本人に諭されます。親子の名乗りはできないけれど、父と確証した息子は出家し、父の弟子となり修業をします。父が刈萱山西光寺を営み亡くなったあとは、その後を継いだということです。このエピソードを踏まえての一茶の句、なんですね。

□ 善光寺 → http://www.zenkoji.jp/
□ 小林一茶生誕250年 → http://www.issa250.com/
□ FDA フジドリームエアラインズ → http://www.fujidream.co.jp/

 

小林一茶のふるさと・信州

「やせがえる負けるな一茶これにあり」や「めでたさもちゅう位なりおらが春」など、誰もが親しむ句を多く残した江戸時代の俳人・小林一茶。実は、2013年は生誕250年のアニバーサリーイヤーです。となれば、一茶をテーマに、一茶のふるさと・信州を旅するしかないでしょ!
一茶が生まれたのは、江戸時代の北国街道の柏原宿。現在の信濃町です。ここで生まれ、江戸に奉公に出される15歳まで過ごし、また晩年も戻ってきて最期を迎えたところです。
旅の起点は、一茶記念館。一茶の生涯と文学、くらしなど、その人となり、また作品の中にある魂を知ることができる場所です。また、すぐそばには一茶も眠る小林家のお墓もあります。学芸員の中村敦子さんに案内していただきました。一茶をテーマに旅する時のヒントとして「信濃町に来て、ここの風土が一茶の俳句の原点になっていることを感じて欲しい。厳しい季節や悪天候の時の旅だとしても、それも一茶を感じるひとつ。厳しい長い冬を生きている…それでもここを敢えて選んでいる、その風土を知っていただくと一茶が近くなると思います」と、おっしゃってました。
  

「是がまあ つひの栖(すみか)か 雪五尺」
中村さん曰く、地元信濃町の人々が大切にしている句がこれだそう。3歳で実母を亡くし、次の母と折り合いが悪く15歳で江戸に奉公に出され、その後俳句の道を歩き出した一茶。父の死後はその遺産をめぐって継母と弟と争いがおこり、ようやく折り合いが付いた50歳になって、故郷・柏原宿=信濃町へ永住することになった一茶が「五尺も雪が積もる厳しい自然に囲まれたところだけど、ここで自分は死に場所をみつけた」という思いで読んだ句だからなのだそう。

「初夢に故郷を見て涙かな」
これは、予習として文庫本で一茶の句を読んでいて私がきゅんとなった句です。じつは、一茶がこの句を読んだのは長崎。30代で九州を旅した時、元旦を長崎で迎えての思いだったそうです。その九州の旅で一茶は俳諧師としての基盤を作り上げたとのこと。記念館には、一茶が旅した時に愛用していた携帯地図も残されています。余白にはちっちゃい字でびっしりと書き込みがあります。大事なことかと思いきや、民間療法的特効薬の作り方とかだったりして、なかなかおもしろいです。他の書き物も残ってますが、年を取ったときのほうが小さい字だったりして、驚きます。ほかにも、ものすごくタバコが好きだったとか、40台後半で歯がなくなってたとか、温泉好きだったとか、いろんなことを中村さんに教えていただきました。

「我と来て遊べや親のない雀」「やれ打つな蝿が手をすり足をする」
「侍に蝿を追わするお馬かな」
虫や動物を読んだ句が多い一茶。動物ベスト3は、猫、鹿、犬。虫だと蝶、ホタル、蚊。かえるの句も300くらいあるそうです。猫を愛した一茶のためを知ることができる一茶記念館。実は、館長はネコなんです。三毛猫のうみちゃん。2008年ごろから登場して、いつの間にか館長に昇格したそうです。ご近所ネコのうみちゃん、小さい頃、犬と一緒に飼われていて、記念館のある小丸山公園を家族と一緒に散歩しておりました。その日課が発展して、今では、散歩後、一度帰宅して、朝8時前に職員より早く出勤して来るんだそう(笑)。インタビューにはノーコメントのうみ館長でしたが、館内巡回はばっちりしてましたよ。また、一茶記念館では、全国から募集したネコの写真に一茶の猫の句を組み合わせて「猫と一茶」という本を出版しています。これがまた、いいんですわ。うみ館長も「穴を出る蛇の頭や猫がはる」という句のページでワイルドな姿を見せてくれてます。
  

 

また、記念館から車ですぐのところに、一茶が亡くなるまで住んでいた家が残されています。柏原宿全体に広がる大火のため元々の家は失われ、焼け残った土蔵で暮らしていたそうです。

「そばどきや月の信濃の善光寺」
中村さん曰く「信州の名物=そば、信州の仏様=善光寺、そしてもう一つ文人たちがよりそうところとして姨捨に“仲秋の名月”を見に行くことがステータスとされていた時代に、信州のCMみたいな句を詠んでいるところがおもしろいでしょ」と。そうそう。そんな一茶のこころによりそうように信州を旅してみようじゃありませんか。
□ 小林一茶記念館 → http://park3.wakwak.com/~issakinenkan/
□ 小林一茶生誕250年 → http://www.issa250.com/
□ FDA フジドリームエアラインズ → http://www.fujidream.co.jp/