Monthly Archive for 11月, 2012

高遠城址

4月半ばに咲く高遠の桜で有名な「高遠城址」。あの桜はタカトオコヒガンザクラという、赤みを帯びてやや小ぶりの桜だそう。しかし、桜の季節以外は、戦国の歴史ロマンを感じられる名所としてのおすすめスポットなのです。高遠町歴史博物館館長の北原紀孝さんに案内していただきました。
高遠城は、南北朝時代は諏訪の高遠氏が治め、その後は武田信玄、そして江戸に入ってからは保科→鳥井→内藤と殿様が変わりました。注目の戦国時代、武田信玄が高遠を手に入れた後、家臣に命じて、城の拡張改築の鍬立てを行っています。その時築城に関わったのが山本勘助と伝わっていて、今も勘助曲輪(かんすけぐるわ)と呼ばれるエリアがあるんです。
 

この城の最大の戦いは、1582年の武田勢と織田勢の戦。信玄の五男で養子に出された仁科五郎盛信が守る高遠城に、信長の息子・信忠が攻め込みます。攻める織田勢5万に対し仁科勢は3000人。「一日で終わった戦でしたが、武田の臣下は壮絶な戦いを繰り広げ地元では賞賛されました。盛信は最期は腹を切って敵にはらわたを投げつけた、という話があるんですが、”だから高遠の桜は赤い”なんて作り話があるくらい」と、北原館長が教えてくれました。他にも、矢を作るための笹=矢竹が今も残っている笹曲輪があったり、深く掘られた壕も残っています。戦った城の持ち味ですねえ。薬研堀(やげんぼり)のお濠の上には木で作った橋を架け、戦いのときは外した、なんて話を聞きながら城跡を見て回ると、わくわくもひとしおです。北原館長は高遠の魅力について、「四季折々の変化が明瞭なことですかね。人間、心の準備、生活の準備をしなくちゃならないから。とり入れが終わったら、冬に暖をとる用意をしとかなきゃならない。先を見てやる、変化やけじめがしっかりある、そういう感性を磨ける場所じゃないのかな。そんな気がするね」と、おっしゃってました。-10度~+5度というように冬だけとっても寒暖差が大きな伊那。その気候が『かんてん』などの特産品を生み出しているのではありますが、なかなかすごいところです。

□ 高遠城址公園 → http://www.ta-ka-to-o.com/
□ FDA フジドリームエアラインズ → http://www.fujidream.co.jp/

   

分杭峠

伊那市の端っこ、大鹿村との境にある分杭峠(ぶんぐいとうげ)。ここは、近年注目のパワースポットとして評判の場所です。なぜ、パワースポットなのか?それは、この場所が日本最大の断層・中央構造線の真上にあり、地層の内側と外側が押し合う力が+-均衡している=ゼロ磁場だと言われているからなのだそう。こういうところは、よい気を発する気場というものができているんだとか。見えないものなので実証は難しいですが、目に見える不思議も発生してます。方位磁石が、正しく北を指せないんですよ、分杭峠!ある地点で北を指した方位磁石を5mほど平行移動させると…あれれ、北の位置がずれちゃう!とか、くるくる回りだした!とか、落ち着きのない方位磁石を満喫できます。分杭峠に行くときは方位磁石を忘れずに!
 

案内してくださった伊那市長谷総合支所産業振興課長の池上直彦さんは「分杭峠に行ったら、考え方が前向きになってくれたらいいと思うんです。わかんないかもしれないけれど、よい気というのは万民平等にふりそそいでいるはずなので」と、にっこり笑っておっしゃいます。そうですよね。元気になりたいという思いでみなさんこの峠に集まってきます。気場といわれる場所には階段状にベンチが設けられていて、みなさん、ゼロ磁場を満喫なさってました。
 

分杭峠での過ごし方について、池上課長は「ここは森もあるしリラックスしてほしいですね、自然の中で。気を休めるとでもいいますか。天気がよければ守屋山=諏訪大社(上社・元宮)の御神体が見えるほど景観もいいんですよ。気を感じる人は、磁場が強いといわれる水汲み場周辺に行って感じてみるのもいいですし、林道の散策もおすすめです。」と、おっしゃってました。今回はバタバタと立ち寄ってしまったので、次はじっくり気を感じるトレッキングがしてみたい場所です。

□ 伊那市観光協会 → http://inashi-kankoukyoukai.jp/cms2/archives/4411
□ FDA フジドリームエアラインズ → http://www.fujidream.co.jp/

 

大鹿歌舞伎

映画「大鹿村騒動記」の題材になったのが、いわゆる地芝居といわれる大鹿歌舞伎。村人が自ら役を演じ、全体を演出し、また衣装・小道具まで担当します。一番古い上演記録が残る明和4年(1767年)から240年以上経った今も、村民有志によって上演が続けられています。村での定期公演は春と秋の年2回。国の選択無形民族文化財に指定されていて、村内だけでなく、国立劇場や海外公演、また近隣への出張公演なども行なっているのです。村には、現在7つの舞台が残っていて、定期公演はもっぱら神社に作られている舞台が使われています。間口六間・奥行き四間、回り舞台も太夫座もついています。
 

で、この大鹿歌舞伎を支えているのは大鹿歌舞伎保存会。実は、村民のほとんどがメンバーです。保存会会長は村長。実際に演じるのは、そのなかの大鹿歌舞伎愛好会のみなさん。また、小学生・中学生もみんな、学校の活動で大鹿歌舞伎を演じているんです。私が取材にお邪魔した時は、一週間後にせまった大鹿中学校歌舞伎公演会の練習中でした。題目は「奥州安達原 袖萩祭文の段」。参加は全生徒23名。役につく子、太夫に付いて語りをする子、つけ木を打つ子、裏方をやる子…。それぞれに役割があって、どれもなかなかたいへんそう。主役の安倍定任(あべのさだとう)を演じる板倉崇史さん(中1)は、「時間も長いし、衣装とか着て声の雰囲気を変えたりとか、たいへんです」といいつつ、かなり通る声で熱演を繰り広げていました。また、リーダー格の入江茜さん(中3)は、「古い、江戸時代のとか、それが受け継がれてここにある…っていうのがすごいと思う。一緒に大鹿歌舞伎の伝統を継いでいけたら、と思います」と、頼もしいコメント。また、演目内容がわからなかった私に、あらすじを的確に教えてくれた田島ひろみさん(中3)。みんな、頼もしい!中田博教頭先生は「役になりきり、太夫で語り、黒子で人のために動いたり、いろんな役割があります。人のためになったり、自己表出できたりということができるようになってくれれば」と、この活動の意義を感じていらっしゃいます。
   

中学生の指導は、愛好会のメンバーが担当します。23歳~90歳近い人まで、農業の人もいれば役場勤務の人もいて、農協職員や土建業、郵便局勤務などそれぞれ仕事を持ち、公演前になると練習で合わせます。しかし、練習無しのぶっつけでやれる演目が20くらいはあるといいますから、その熟練度たるや…。すごいです。元々役者をやってきて、最近はつけ木や鳴り物を担当している上島巌さん(写真右)は、「やってるとやめられなくなるんだよ。やる時も苦しいんだけどね。セリフ憶えなくちゃいけないし。でも、終わっての安堵感が何ともいえない」とおっしゃいます。また、名女形の中村元夫さん(写真中)は、ヒマラヤ原産の美しい青いケシを栽培するのが本業です。「大鹿にしかない芝居とか、あるんです。他の地域とかけ離れたとこがあるんで、珍しいのが残ったんじゃないかな」と、大鹿歌舞伎の特徴についておっしゃいます。また太夫(語りでありコンダクター)を務める北村尚幸さん(写真左)は、保存会事務局の人でもあります。地芝居というのは幕末から明治にかけて大ブームになってて、全国にあったんだと教えてくれました。「でも大鹿は格別で、歌舞伎好きが村じゅうにいて、最盛期には13も歌舞伎の舞台があったんです。こんな山の中で平らなところが大事なのに、舞台作っちゃう(笑)。それが大鹿なんです。」若者組が歌舞伎の運営をまかされ、家族じゅうで稽古から見に行くもんで、名ゼリフや義太夫の名調子は耳に入って皆が知っている、小さい兄弟姉妹がいれば浄瑠璃が子守唄代わりだった。そんな土壌が大鹿歌舞伎が続いてきた原因ではないかとも教えてくださいました。公演当日は、舞台がある神社の境内にござを敷いて、飲食しながら歌舞伎を楽しみます。そして興が乗ってくると花=おひねりが飛ぶんだそうです。ああ。いつか見に行きますね。大鹿歌舞伎。

おまけの舞台裏。衣装やカツラ、小道具がずらりと保管されてました。
□ 大鹿歌舞伎 → http://www.vill.ooshika.nagano.jp/kakukakarano/kyouiku/oosikakabuki/
□ 大鹿観光協会 → http://ooshika-kanko.com/index.html
□ FDA フジドリームエアラインズ → http://www.fujidream.co.jp/

   

大鹿村

原田芳雄さんの遺作となってしまった映画「大鹿村騒動記」の舞台となった村、長野県下伊那郡大鹿村。南アルプスを望む山あいの村は、山が奥に奥に重なって、その間を川が流れて花や実りがあって…という、日本昔ばなしに出てきそうな雰囲気です。しかも、空気が全体的にほんわかしてる!ここにいるだけでやさしくなれそうな感じです。
「日本の美しい村」連合に加盟している大鹿村。村長の柳島貞康さんは、大鹿村の人たちには「美しい村を守っている自負がある」とおっしゃいます。村長のお気に入り風景は、大河原・大西の谷から赤石岳方向を見たものだとか。南アルプスの奥深さを実感できるんだそう。折り重なる山々の向こうにそびえる赤石岳、山あいを流れる川にかかったアーチ型の橋…村長のおっしゃるとおり、すてきな風景でした。
     

そして、その地点のすぐそばには、明治時代に日本アルプスと当時の日本の風習を世界に紹介したイギリス人宣教師・ウェストンを記念する碑が建てられていました。設置に尽力なさった元村長の中川豊さんに、さらに奥にある平安時代末期建立の福徳寺(国重文)や、鎌倉~南北朝時代からの伝説など大鹿村の歴史ロマンをいろいろ教わりました。
 

取材の途中途中で、映画「大鹿村騒動記」に出てくる風景に出くわすので、もう、うきうきわくわく!でした。
三國連太郎さんがお参りしてたお墓とか、原田芳雄さんが経営してたレストラン“ディアイーター”とか。ちなみに“ディアイーター”は撮影で使ったままを普通営業し始めたお店です。切り盛りしてるのは、映画にも出演し、大鹿歌舞伎の指導もなさった遠藤ゆみこさん。まずは、名物鹿肉カレーからスタートしたそうです。店内には、衣装や小道具も展示されていて、映画の世界に浸れますよ~。
     

さらに、大鹿村には鹿塩温泉というのがあって、このお湯がしょっぱいっ!ほんのり塩味なんですよ。私が泊めていただいた塩湯荘は、映画「大鹿村騒動記」の撮影中も俳優さんたちの宿舎になったところ。ちなみに塩湯荘は、酒飲みチームの宿だったそうで、中心になった岸部一徳さんはじめ俳優さんたちは、深夜盛り上がってたら、宿のお嬢さん(小学生)に「いいかげんに寝なさい!」と叱られたらしいです(笑)。村じゅうに撮影エピソードが満載でした。
□ 大鹿村観光協会
□ FDA フジドリームエアラインズ → http://www.fujidream.co.jp/

 

元善光寺

長野市にある善光寺~牛に引かれて善光寺詣りの善光寺~のご本尊で絶対秘仏の仏様が、善光寺に運ばれる前に安置されていた場所に開かれたのが飯田市の「元善光寺」です。同じ人が作ったお寺だから、二つでひとつ。善光寺と元善光寺に両方お詣りしなければ「片詣り」といい、ご利益がいただけないといわれています。元善光寺の林和雄さんにご案内いただきました。
奈良時代、都に出向いていた本多善行が、如来の夢のお告げにより、難波に打ち捨てられていた仏様を救い出して、故郷に持ち帰ったのが善光寺のご本尊。しばらく自宅に安置していましたが、後日、また如来のお告げを受け、善光寺にご本尊を移動させ寺を開き、自分の名前をとって善光寺と名づけ、それまで仏様のいた自宅を元善光寺としたのだそうです。なお、自宅では、臼の上に仏様を安置していたのですが、長野の善光寺に仏様を運んだ後、その臼が光り輝いたので「座光の臼」とよばれ、今は宝物殿で見ることができます。この座光の臼にちなんで地名が「座光寺」になったそうですよ。
細い暗い通路を巡り、ご本尊の厨子につながるつながる柱に触れることでご本尊と結ばれる「お戒壇めぐり」もありますよ。また、元善光寺の縁起や善光寺如来についての楽しくてわかりやすい法話も人気だそうです。
長野県南部を旅する時にはぜひ!おでかけください。

□ 南信州ナビ→ http://www.ii-s.org/index.html
□ FDA フジドリームエアラインズ → http://www.fujidream.co.jp/

 

五平餅

伊那谷や木曽谷を中心に作られている、いわばこのエリアの人のソウルフードともいえるのが「五平餅(ごへいもち)」。白ご飯をつぶして丸め、味噌だれをつけて焼いたもの…というのが基本説明です。でも地域によってちょっとずつ違いがあるのがおもしろいんです。伊那谷の五平餅を、高森町・牛牧おやきの会のお母さんたちに作っていただきました。伊那谷の五平餅の特徴は、小ぶりでやや平たくした丸型を串に刺した形。ほかの地域は大きな、わらじっぽい形が多いようです。で、牛牧おやきの会の五平餅は「まぼろしの五平餅」っていわれてるんです。天下一品のおいしさで、すぐに売り切れちゃう人気の品なんだそうですよ。おいしさの秘訣は…、「手でご飯を半殺しにして(少し粒が残るくらいにつぶして)、炭火で焼くこと」だそう。塗るのは、くるみとゴマの味噌だれ。添加物のないものを使います。ほんっとうに、ものっすごくおいしくて、バクバク食べちゃいました。会長の小坂ちずさんは「昔っからな、祝い事があると五平餅。収穫祝いとか祭りとか。あと、5月の木の芽どき、山椒の頃もだな。お花見には必ず五平餅」と、おっしゃってました。五平餅のいわれについては、「昔、五平さんという大工さんが、毎日持ってくる握り飯を焼いて、味噌をつけて食べたのがはじまり」とも、「串や幅広の棒に餅(握り飯)を刺した形が、神様にお供えする幣束=御幣(ごへい)に似ているから」とも言われているそうです。
 

 

今回お世話になった「牛牧おやきの会」。今から20年ほど前に立ち上げた生産者グループです。有志が集まって「生涯現役でおりたいね」というみんなの気持ちが一つになってできました。昭和4年~19年生まれの女性23人、「みんな経営者でみんなスタッフ」です。「憩い、かつストレス解消だねえ」と明るく笑うお母さんたち。朝、5時から果樹園などで家の仕事をして、家の用事をして、それから「おやきの会」の仕事に入ります。お母さんたちのバイタリティのおかげで、私たち、おいしい逸品をパクパクいただいております。また、おいしいご飯をたべさせてくださいね。
□ 高森町 → http://www.town.takamori.nagano.jp/contents/02000001.html
□ FDA フジドリームエアラインズ → http://www.fujidream.co.jp/

 

市田柿

東京のデパートではお歳暮の品として人気絶大だったり、福岡のお菓子屋さん如水庵が商品を作ったりする、超がつくほど有名な干し柿=市田柿のふるさとが長野県下伊那郡高森町。長野県の南部=南信といわれるエリアの街です。この市田柿、表面に糖分が粉をふき、結構大ぶりで肉厚。食べると、ふっくらもっちり。そして濃厚かつさっぱりとした甘みが口の中に広がります。「めっちゃおいしいです~」と叫んでいたら、「しっかり、おあがりて(しっかりお食べなさいの意)」と、やさしいお母さんたちの声。声の主は、高森町牛牧にある牛牧直売所あんしん市場でお惣菜などを作って売っている農家の主婦グループ「牛牧おやきの会」のメンバーです。取材にうかがった9月下旬に柿はないので、メンバーの原さんが自宅冷凍庫にキープしていたものを持ってきて下さいました。感謝です。会長の小坂ちずさん曰く「この柿は上手。粉がきれいについといるら。下手なのはしわがあるもんで、溝に粉がないんで赤いの」と。
 

今は、特産品として厳しい管理体制のもとで作られる出荷用市田柿ですが、自宅用は別。高森町では昔からの家ではどこにも柿の木があり、各家で市田柿を作るそうです。11月に入ると各家の軒下にはカキ色のすだれが下がったようになります。家ごとに味や柔らかさが違うんですって。さらに昔々、市田柿は焼き柿だったんだそう。焼いて食べると渋がぬけて甘くなる、それが市田柿のはじめだったとか。この市田柿、渋柿なんですけど、形は甘柿みたいにでっぷり横長なんです。渋柿といえば縦長、の九州人には新鮮な驚きでした。また、案内して下さった高森町役場農政係の菅沼まなみさんが「地元では、市田柿を正月の“歯がため”に使うんですよ」と、教えて下さいました。健康・長寿を願う正月行事“歯がため”は、高森町あたりでは落花生と勝ち栗、そして市田柿を食べるのが基本だそう。「まめで、くりくり、かきとる」の語呂合わせだとか。また、「市田柿、チーズとも合うので、おつまみにもオススメですよ」ですって。11月下旬、冬に入ったら市田柿、ぜったい食べていただきたい。いろんな果物の南限と北限が重なっているため、ありとあらゆる果物がとれる食べられる高森町。信州まつもと空港から高速道路を使うと意外にもすんなりたどり着きます。ぜひ、おでかけください。
□ 市田柿 → http://www.pref.nagano.lg.jp/xtihou/simoina/nousei/itidagaki/itidakakiindex.htm
□ 高森町 → http://www.town.takamori.nagano.jp/
□ FDA フジドリームエアラインズ → http://www.fujidream.co.jp/

 

松本市考古博物館

福岡県古賀市の歴史資料館にある、古代の鎧・兜とよく似たものが、松本市考古博物館にありました。それが、この眉庇付き兜(まびさしつきかぶと)。5世紀後半に作られたもので、放光寺開き松古墳から出土。長野県内では開き松を含め2つしか見つかっていません。鉄製の短甲(たんこう)と呼ばれる丈の短い鎧も似ています。案内してくださった学芸員の  さんは、「やっぱり九州の短甲のほうが、精巧にできてますね。丸いビスの付き方がしっかりしてる」とおっしゃってました。おもしろいのは、着用できるように簡易レプリカが用意されていること。こういうのって、実感がわいて楽しいです~。信州と九州の古代遺跡の共通点や相違点を見つけながら、勝手にそのつながりを想像すると、楽しさもひとしおです。また、古墳時代中期の、鉢巻状の帯に飾りをつけた「天冠」という金銅製の冠も興味深いところ。長野県内では桜ヶ丘古墳からしか出土していないそう。朝鮮半島南部にあった伽耶との関わりが深いものです。
ほかにも、縄文時代の遺跡・エリ穴遺跡から出土した耳飾りなど興味深いものも展示されています。東日本最古級の弘法山古墳のコーナーも要チェック。

□ 松本市考古博物館
      → http://www.city.matsumoto.nagano.jp/sisetu/marugotohaku/koko/index.html
□ FDA フジドリームエアラインズ → http://www.fujidream.co.jp/

大室古墳群

   福岡県粕屋郡新宮町の相島の海岸に「積石塚(つみいしづか)」と呼ばれる古墳群があります。墳丘を石だけ、もしくは石と土だけで作られた古墳で、朝鮮半島の影響があるといわれています。国指定の史跡です。海岸に257基も並んでて圧巻なこの古墳と同じスタイルのものが長野県にもあるんです。
 
  それが、長野市松代にある「大室古墳群」。こちらも国指定の史跡で、5世紀から8世紀くらいにつくられた、10~15mくらいの大きさの積石塚古墳が500基あまり、奇妙山という山の2つの尾根と3つの谷に並びます。特徴というか不思議なのは500の古墳のうち約450基=9割が谷にあるということ。通常は見晴らしのいい尾根にでっかいのが作られるべきだろうに…。「そこが大室古墳を考える時に重要な点でもあります」と、案内をしてくださった長野市教育委員会文化財課の風間栄一係長。土で作られるのが主流の古墳において石をメインにして作る積石塚は変ってますが、その大陸的要素に加えて日本的な部分、例えば埴輪(はにわ)を立てるといったことも出てきているそうで、「今後の調査で突き詰めていくとわかってくるだろうし、福岡と信州を比較するとおもしろいかもしれませんね」と、風間さんがおっしゃってました。大室からの出土品のなかでおもしろいものとして『馬具類』が挙げられます。馬具出土については、日本中でも福岡は突出して多く、長野も多い。他には静岡、群馬も多いのだそうです。平安時代の記録・延喜式には大室に牧(馬の飼育場)があったと記録されてますが、古墳時代にまでさかのぼれるのは間違いなさそうです。大室古墳の形成は馬の飼育技術を持つ集団と関係があるのではないか。積石塚は渡来系の馬の飼育集団が作ったというのが有力だそうです。
  

 

 

  古墳は今も調査継続中です。保存のため埋め戻されたものもありますが、石室を上から、横から覗けるように整備されたものも用意されていて、見学し甲斐があります。また、積石塚の他にも、長野県でしか見つかっていない合掌型石室などがあります。山すその古墳館で知恵をつけてから見学するがいいですよ。ただし、全部見ようと思ったら、軽く山歩きになりますからね~。そうそう、この大室古墳群が見事に残っているのは、地元の愛があればこそ、なんです。開発されないように古墳のエリアを物質・経済的にも守ってきて、整備がなされると古墳館の運営や清掃、鍵の管理など、地元の人が担当しています。学術資料として価値のあるものを大切にし、後世に伝えていくために信州人がとる行動は、さすがです。
  風間さんがおもしろいことをおっしゃってました。「今も、古墳時代なんですよ。天皇の陵墓はつくられるでしょう?明治までとぎれてるので一繋がりじゃないけれど。そういう観点で言うと遠い時代の話じゃない。後世にどういう評価になるのか、考えるとおもしろいところですよね」と。
  信州への古代ロマンを感じる旅、おすすめです。
 
 
 
  □ 大室古墳群 →

 http://www.city.nagano.nagano.jp/soshiki/bunka/41983.html
  □ ながの観光コンベンションビューロー → http://www.nagano-cvb.or.jp/
  □ FDA フジドリームエアラインズ → http://www.fujidream.co.jp/