Monthly Archive for 9月, 2011

あこがれの涸沢ヒュッテ

穂高連峰への登頂の起点になる山小屋・涸沢ヒュッテ。読み方は「からさわ」です。穂高の山々を仰ぎ見ることができるという、あこがれの山小屋です。涸沢ヒュッテのご主人・山口孝さんは、山小屋に入って40年。今も200日の営業中150日以上は山にいるという方。北アルプス山小屋友交会会長で、北アルプス南部地区山岳遭難救助隊長でもいらっしゃいます。映画化されたコミック「岳~みんなの山」にも登場してる人です。今のようにヘリコプターでの物資輸送が可能になる前から、物資を背負って山小屋へ入ってたそうで、遭難事故があれば、病人、けが人、そして亡くなった方を背負って運んできたそうです。その山口さん、「穂高の山は、日本近代アルピニズムの原点だ」とおっしゃいます。また、涸沢と穂高の山について「日本でこんなにすばらしい山岳エリアがあるのか!っていうものを持ってる。特に秋の紅葉シーズンのあの色のすばらしさっていうのは、世界一の紅葉って言ってるんですけど、そういう場所です、涸沢はね。」と教えてくれました。ナナカマドの真っ赤、ダケカンバの黄色…穂高の山々に囲まれた円形劇場のセンターに涸沢ヒュッテがあるんですって。春先は、雪解けが始まってナナカマドの芽が残雪から出てきて、芽吹きから新緑もすばらしくて、それから夏に向け木々の成長が間近に見られるそう。また白い雲に真っ黒い穂高の山のコントラストもすばらしく、雲の流れひとつとっても毎日違っていて楽しいんだそう。毎日見ていてもすばらしい涸沢からの穂高の眺め…見てみたいなあ。
で、沸き起こった私の疑問。「どのくらいの能力があれば涸沢に、穂高に登れるんでしょうか?」
山口さん曰く「涸沢までだったら、普通に散歩できればいいよ。行きたい気持ちがあれば(ニコニコ)。朝起きて20分でもちょっと歩いてみながらコンディションを整えればいいんです。あと夕方犬の散歩がてら2~30分歩いて。それだけで涸沢には来られますよ」と。えええーっ!?「上高地が標高1500mで涸沢が2300m。800mの標高差があるけど、その半分は梓川沿いの平らなところなんです。横尾というところから若干山道になりますが、上高地を朝7時に出たら、午後1時~2時くらいには涸沢に着けますよ。だいたい6~7時間ですね。」と。なんと!意外にハードルが低いというか、何とかなりそうな感じです。ただし!「そこから上になると、結構道が急になってくるし、一気に短い距離で涸沢から奥穂の頂上3190mまでの標高差7~800mを、しかも岩や砂利地帯を登りますから、いきなり挑戦はやめておいたほうがいいですね。三点支持とか土手を使って練習したり、ジムでフリークライミングをやるとか、バランスをとる練習や体作りをしておくといいですね。」なんだそうです。
私、涸沢ヒュッテまででいいかも…と、思っていたら!「ヒュッテの屋根の上は展望台になっていて、そこで100人くらいは休んで山を見られるようになってます。しかも生ビールがありましてね。それを楽しみにくる人もいる。涸沢から穂高の山を見てビール飲んで、次の日下りるだけ。穂高には登らない。涸沢から穂高見て、風にあたり日にあたり、景色で満足してる。さわやかで涼風きらめく地上の別天地って感じでね(笑)。」ああああーっ!私、それ!それ希望しますっ!
超ベテランの山口さん。しかし「山に対する自信はあるけれど、山はいつ牙を向けてくるかわからないから、常に畏敬の念は持ってます。一歩下がって“お手やわらかに”とか“いじめないでくださいね”とか」と、おっしゃてました。そして、山歩きについてこんなこともおっしゃってました。「山を歩くってことは(穂高じゃなくても)、人間が再生されるっていうか…。こころも気持ちも体も、何か山のすがすがしさ…風にあたったり太陽にあたったりして歩くと、“自分はどうなのか”っていう、何というか蘇ってくるんだよね」と。
ますます憧れが大きく強くなりました。ちなみに山口さん、めっちゃかっこいいです

□ 涸沢ヒュッテ → http://www.karasawa-hyutte.com/
□ 信州紅葉だより → http://www.nagano-tabi.net/contents/season_guide/kouyoudayori.php

そば粉のおやき いろは堂

長野市鬼無里にある「いろは堂」。ここのおやきは、激ウマです。ファンになっちゃいました。そば粉が入っていて、香ばしくてもっちりしてて、なんともいい風味です。いろは堂のご主人の伊藤宗正さん、実は九州人です。肥後もっこすで、西新(福岡市早良区)育ち。奥様と恋に落ちて、鬼無里の人になりました。「何とか食べやすいおやきを作りたくて…。うちは、焼くことにこだわったおやきを作りました。そば粉を入れることで若干風味があったり、揚げて焼いているので独特。焼くことが親父のこだわりでもあったし。で、季節ごとの野菜や山菜、キノコを入れて、定番+季節ごとのおやきを食べていただこうという思いで、山里でがんばってます」と、にこにこ話してくださいました。180円からあるおやき。人気は野沢菜やあざみ。このあざみ、山菜の一種ですが、ほんのり苦味があるけどおいしいんですよ~。ハマります。レアな具ですよねえ。囲炉裏のある店内で食べるのも格別の味わいです。で、いろは堂のおやき、冷えてもおいしいの!しかも、お酒の肴になるんですよっ、これがっ!信州の日本酒との相性も二重丸でしたねえ。今年のラジオ祭りに来てくださることになりましたので、みなさま、どうぞお楽しみください!
□ いろは堂 → http://www.irohado.com/

 

 

白馬村の新グルメ 白馬ガレット

白馬村の各所で提供されているのが「白馬ガレット」。ざっくり言うとそば粉のクレープみたいなものです。地元産のそば粉を使って生地を作りクレープを焼き、地元の野菜や肉、信州サーモンなどをトッピングしたお料理です。私がいただいたのは、プチホテル・アンシャンテの白馬ガレット。信州サーモンと夏野菜のトッピングが華やか、かつ超美味~。もっちりした食感に、そば粉の香りもたまりません~。想像以上に満腹&満足。
 
作ってくださったのはオーナーシェフの原真教さん。なんと、久留米市城島町のご出身!生地は、そば粉に水、卵、塩、牛乳にシードル(りんごのスパークリング)、白ワインなどなどが入っているそう。「湿度や温度で焼き上がりが変わって、奥深いんですよ。焼くことで、そばの香ばしさがひきたつんです。それを楽しんでほしい」とおっしゃってました。ガレットの起源はフランス料理ですから、フランス料理の技法を生かしたトッピングを、また、白馬や長野県内でとれたものを使うことを心がけていらっしゃるそうです。秋はきのこ、冬はイノシシや鹿、鳥などのジビエ。それに地物の野菜が組み合わさります。
久留米から信州へ移った原さん。一番いいのは自然と水のよさだと、おっしゃいます。ごはんもそばもガレットの生地も、料理の全てに水のおいしさの恵みを受けていると。また、原さんのお気に入りは、ぽかぽかあったかくなった春の白馬。山の端に残雪があり、花や新緑に囲まれて、閉じこもっていた虫達が外に出てくる感じがお好きだとか。自転車に乗って小川のほとりを散策すると癒されるそうです。春の白馬、訪ねてみたいです~。
□ 白馬ガレット → http://www.hakubagalette.jp/
□ プチホテルアンシャンテ → http://www.ph-en.com/

 

戸隠そば

おいしいそばのラインナップに必ず名前が出てくる「戸隠そば」。地元でも評判のお店『そばの実』でいただきました。思わず「うぉぉぉ…」と、言ってしまうくらいのおいしさ。香りものどごしも申し分なし。デザートのそば団子がまた美味。
ご主人の徳武洋友さんに、戸隠そばの特徴を教えていただきました。まずは、そばの挽きかた。甘皮から全ていっしょに挽く「ひきぐるみ」であること。そばにうっすらと色があります。そして形からいうと「ぼっちもり」という盛り方。小さなそばの山が並ぶんですが、このひと山を一ぼっちというのだそう。そして、「根曲がり竹」という地元の竹で作られたざる。江戸時代から戸隠で作られ続けているこのざる、「丈夫さが違う」と徳武さんはおっしゃいます。深い雪につぶされても起き上がってくる根曲がり竹は、竹の強さそのものが違うとのこと。しかし、まっすぐ伸びてない竹なので細工しづらく、全てが手作業なんだそうです。竹を切る時期も決まっているそう。その年のタケノコが伸びて竹になったものは、「まきだけ」といってざるの縁巻きに使い、ざるの他の部分は前の年の竹を使います。
 

 
そして、お店の軒先には鼓型の飾りが下がってました。真ん中は竹、両端から出ている部分は杉です。これ、新そばができると「新そばが入りましたよ~」ってお知らせする目印の杉玉なんだそうです。すべて、戸隠神社の御祓いを受けたもの。造り酒屋さんで新酒ができたら酒林=杉玉を下げるのとおんなじですね。新そばが出るのは10月下旬ごろだそうです。紅葉と新そば…いいなあ。朝のぴんと張った空気の戸隠神社をお参りして、散策して、お昼におそば!これがおすすめです。
□ そばの実 → http://www.sobanomi.co.jp/

 

上杉の塩も通った塩の道(千国街道)

海なし県の長野県。昔々から、海沿い発~信州着で塩が運ばれてきました。日本海側は糸魚川(新潟県)から大町を通って松本、塩尻へ。太平洋側は相良町(静岡県)から飯田、駒ヶ根を通って塩尻へ。両方の塩が出会う=止まるところが塩尻。なかなか意味のある地名ですよね。糸魚川から松本までの120kmは千国街道というのが本名で、通称「塩の道」。上杉謙信が武田信玄に送った塩もこの道を通りました。江戸時代は、華やかな大名行列などはない、生活物資運搬のための経済路線、庶民のための物資輸送の大動脈だったのです。今、小谷(おたり)村~白馬村~大町市に残る塩の道は、いろんな散策コースでたどれるように整備されています。大町市観光ボランティアの上田治美さんに案内していただいたのは、白馬村から大町市に向かう「佐野坂(さのさか)峠」周辺から青木湖にかけての道。佐野坂は塩の道の中でも難所のひとつで、ここには番号がついた石仏が33体、いろんな仏様が十数メートル~数十メートルおきに点在しています。江戸時代に作られたこの仏様、冬は雪深いこの峠を通る時に、仏様の番号を順にたどっていけば吹雪などで遠くが見えなくても自然に難所を越えられるようになっているのだそう。遭難してしまった人の魂を慰め、これから塩の道を行く人の安全を祈って設置されたということです。夏の塩の道は、美しい緑に囲まれた気持ちのよい散策路です。
  

  
雪のない時期、塩の道の荷物は牛が運んでいました。1頭につき平均200kg、それを6頭くらいつなげて、牛方(うしかた)と呼ばれる人が運んでいきます。この牛と牛方が一緒に宿泊する牛方宿が小谷村に残されています。なお、牛を使うのは、山坂がきつい大町までの南下ルート。大町cから松本は平坦なので馬が活躍したそうです。雪深い冬は、歩荷(ぼっか)=荷物を背負って運ぶ人が運んでいたそうです。塩と人との関係についての資料がいろいろあるのが、大町市の「塩の道博物館」。庄屋であり塩問屋であった平林家の母屋や蔵が展示場になっていて、当時のことが学べます。
  

 
塩の道博物館のすぐそばに、これまた江戸時代からの大庄屋さんのお屋敷を利用した食事どころ「わちがい」があります。ここでいただけるのは、大町名物の「おざんざ」。細麺のうどんのようなものです。この「おざんざ」は、つなぎに塩を使う代わりに納豆菌を使っているんですよ~。においは気になりません。ねばっこくもありません。“つるん”とした食感が気持ちいいんです。信州=そば、もいいけど、この「おざんざ」、ぜひ体験すべき逸品です。また「わちがい」の店前にある男清水(おとこみず)と道を挟んで出ている女清水(おんなみず)の湧き水飲み比べもぜひ!
□ 塩の道博物館 → http://www1.ocn.ne.jp/~saltroad/
□ わちがい → http://www.wachigai.com/
□ 小谷村観光連盟 → http://www.vill.otari.nagano.jp/kanko/
□ 大町市観光協会 → http://www.kanko-omachi.gr.jp/

 

 

川中島の戦いって、5回もあったんです

武田信玄と上杉謙信が戦った川中島の戦い。運動会の騎馬戦のタイトルにもなり、「鞭声粛々~夜、河を渡る~」って、みんなで吟じた思い出もあります。その戦いが行われたのが長野市内。川中島古戦場は“夜河を渡る”の千曲川の近くにあります。今は、史跡公園として整備された広い敷地と神社があって、一騎打ちの銅像、なんてのも作られてます。ここを案内してくださったのは、川中島の戦い語りべの会・ボランティアガイドの伊藤隆さん。いろいろ衝撃的なことを教わりました。
 
1)「川中島の合戦は5回あった」…12年間に5回行われたそうで、その中の4回目が私たちがよく知ってるというか、川中島の戦いだと信じてきた「八幡原(はちまんぱら)の戦い」なんだそう。
2)「川中島ってどこ?」…伊藤さんがよく尋ねられるのが「川中島ってどこだい?さっぱり島が見えないじゃないか」ということ。実は、長野市は360°山に囲まれてて、長野盆地、地元では善光寺平なんて呼ばれてます。昔はこの長野盆地のことを川中島と呼んでいたのだそう。ですから、盆地内で戦えば、どこだって川中島の戦いになるんですって!げげっ。
3)「ご飯を炊く時は要注意」…八幡原の戦い=通称・川中島の戦いが起こったのは、永禄4年9月10日(旧暦・今の10月28日)。わずか2kmくらいしか離れていなかった両陣営は、それまでに20日間ほど膠着状態が続いておりました。「武田勢が仕掛けてくる!」ということを上杉勢が見抜いたのは、9日昼に武田の陣所(海津城)でご飯を炊く炊煙が、いつもよりかなり多かったからなのでした。
4)「夜河を渡ったのは午前1時ごろ」…上杉勢は武田の来襲を直感し、陣(妻女山)にツワモノ100人ほどを残し、かがり火をたくさん燃やさせて人がたくさんいるよう偽装工作をして、13000人の兵を下山させます。静かに千曲川を渡ったのは午前一時くらい。一方それを知らぬ武田勢は、20000の兵を二手に分け、朝4時に決死隊=メインの12000人を妻女山へ出発させ、妻女山から逃げた生き残りを一掃するための温存隊=お怪我をさせちゃいけない“武田衆”の方々を含めた8000人を、八幡原に待ち伏せ隊として出発させたのでした。一寸先も見えぬ深い霧の中の進軍。朝6時、少し日が昇って霧が晴れた向こうには13000の上杉勢が目の前にいたのでした。
5)「果たして勝者は?」…歴史の先生方の間でも、武田勝利派と上杉勝利派で意見が分かれていて、未だに和解してないんだそう。武田勝利派曰く「戦は戦場から先に逃げた方が負け。裏をかかれたことを知って武田勢本隊が加勢に入ったことで退いた上杉に対し、最後まで戦場に残っていたのは武田である」と。一方、上杉勝利派曰く「謙信直筆の感状が6通見つかっている。信玄の葉1通もない。」と。ま、感状を書かなかった可能性はあるんでしょうけど、戦の後の酒宴も明暗分かれていただろうと伊藤さんは言います。退いたとはいえ「お疲れさん」「ご苦労ご苦労」な空気が上杉勢にはあったでしょうが、武田はそうはいかなかったはず。信玄の弟とその長男、おじいさんの兄弟や伝説的軍師・山本勘助も失っているとなると「此度は御愁傷様で…」となるでしょう。さあ。どちらを勝者とするのか。
6)「“敵に塩を送る”の逸話は川中島に起源あり」…桶狭間の戦いが原因で今川・北条から経済封鎖=塩止めをされていた武田。“塩なしでは生きていけない。戦いは兵がするものであって一般民衆には関係ない”として、宿敵であるにもかかわらず、上杉から武田に塩が送られた話は、ご存知の方も多いはず。上杉が塩を送ろうと決めたのは、川中島の戦いのあと、武田方の高坂弾正(こうさかだんじょう)が、7~8000人に上った戦死者の遺体を敵・味方関係なく埋葬したことが、気に入っていたからだということだそうです。葬った首塚が川中島古戦場にも残っています。
いやあ。伊藤さんがいなかったら、私にとって川中島古戦場はただの公園だったかもしれません。語りべのみなさんは、基本古戦場跡に待機していらっしゃいますので、ぜひお話を聞きましょう。「点でもいいから少し歴史を勉強して来て、ここで点と点を結び付けてもらえれば」と、おっしゃってました。も少し本を読んで、また伊藤さんのお話を聞きに川中島に行きたいです!

 

聞きしに勝るパワースポット!戸隠神社

「すごいらしい」とは噂に聞いていた戸隠神社。想像以上にすごい空気が満ちた場所でした。透明感と清涼感、奥に吸い寄せられるような力に若干の重量感もある独特の空気が参道を包みます。まさに「神様に向かって歩いてるんだ!」って実感できるんですよ~。
 
戸隠神社って、霊山・戸隠山そのものがご神体で、ふもとにある5つの神社からなる神社なんです。天の岩戸伝説で、開いた岩屋の戸が飛んでいった場所が戸隠、とされています。2kmの道のりを歩くことができるなら絶対に行くべきなのが奥社。天の岩戸を無双の力で開けたといわれる天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)が御祭神です。この神様、本当に困った時に助けて下さる神様なんですって。この奥社に向かう途中にあるのが随神門。茅葺きの朱色の門で、まさにここからは結界!って伝わるくらい、くぐった先は空気が違うんです。立冬と立春の日の太陽は、この門の真上~杉並木をまっすぐに昇っていくんだそう。その荘厳さも見てみたいなあ。
 
軽い登山道のような参道を登りきると奥社と九頭竜社(戸隠の地主神。虫歯の神様でもある)が並んでいます。ここでは、ぜひおみくじをいただきましょう。戸隠神社のおみくじをいただくには、自分の年齢を伝えなければなりません。神職さんが祝詞をあげてから年齢に合わせたおみくじを引いて持ってきて下さいます。
  
旅路を案内して下さったのは、宿坊・旅館「横倉」のご主人・横倉千早さん。戸隠の宿坊のご主人はみんな神官さんなんだそうです。宿泊すると朝からお勤め?に参加できたり、宿坊そのものが神社だったりするわけです。横倉さんは「歩くことに意味があるんです。」とおっしゃいます。建物ではなく土地の持ってる力や雰囲気に、癒されたり感じたりできるのであって、普段の雑念を捨て去ったり考え直したりすべきところなのだ、と。できれば一人でお参りするのがいいそうです。そして、大切なことがもうひとつ。できれば朝、少なくとも午前中までに奥社にお参りしましょう。人が増えてきてからは荘厳な空気が薄まってしまいます。また、戸隠と福岡のご縁も教わりました。宗像で作られた弁財天が戸隠の宿坊に祭られているそうです。上杉景勝が豊臣秀吉に朝鮮出兵を命じられた時、戸隠の修験者が航海術を知っていて案内役をしたのだとか。その時、戸隠の修験者によって持ち帰られたんでしょうか?戸隠の修験者は知恵の集団で薬作りや情報、技術を持ってた人たちだったんですね。でも一番の驚きは、横倉さんの奥様が、私のかかりつけ歯医者さんの奥様と小学校の同級生だったこと。縁は異なもの…。ありがたやありがたや。
  

また、この奥社、昔は女人禁制でした。その前宮として宝光社や中社があったんだそう。中社の御祭神は、天の岩戸を開ける方法を考えた智恵の神様・天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)で、奥社の天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)のお父さんです。ここでは樹齢800年という杉に癒されます~。

□ 戸隠神社 → http://www.togakushi-jinja.jp/