Monthly Archive for 10月, 2010

木曽路を行く 3

江戸時代、中山道を行き交った人々の追体験を楽しむなら、宿場町だけでなく街道も歩きましょう!馬籠宿から妻籠宿間の約8kmは道が整備されて歩きやすい、かつ、そばを道路が通っていて、部分歩きにも手軽な区間です。このルート、海外で出されている旅情報本に紹介されているそうで、とっても外国人観光客が多いんです。私も韓国の方とスペインの方に出会いました。“ビューティフル ジャパン”の象徴のひとつなのでしょうね。案内して下さったのは、妻籠宿案内人の会・案内人の松瀬康子さん。中山道は山道ですが、東海道に比べて治安が良かったので、女性の旅に多く使われ、ゆえに「姫街道」との別名があります。皇女和宮が徳川へのお嫁入りで通ったのも中山道。その行列の人数は8万人にも及んだそう。いやあ、8万人って…一列に並んだら、宿場と宿場の間を埋められるくらいの人数ではございませんでしょうか…。松瀬さんは「和宮も通った道を歩いて、歴史を振り返りながら、また全体の景色を含めてロマンを感じていただければ…」とおっしゃってました。確かに、中山道の空気って、タイムスリップしたような不思議な清涼感がありましたねえ。
 
 
歩くことそのものも楽しいのですが、途中の見どころポイントもいろいろ。一石栃立場茶屋(いちこくとちたてばぢゃや)という江戸時代の家屋では、ボランティアガイドさんが囲炉裏に火をおこして、お茶でもてなして下さいます。
 
また、神居木(かもいぎ)と呼ばれる、さわらの巨木もすばらしい姿です。樹齢約300年、胴周り約5.5m。両腕を天に伸ばしたような枝がユニークで、その枝陰に神様や天狗が座って、旅人の安全を見守ってる…つまり“神様のいる木”という名前がついたそう。大きさは「風呂桶が300できるくらい」と案内板にありましたが、うーん。とにかく大きいということで(笑)。
 
そして、男滝(おだき)女滝(めだき)という2つの滝!名前の通り、男滝は水量も多く凛々しく雄々しいビジュアルです。対する女滝は細い糸のような流れが合わさった薄衣のような広がりを感じさせるビジュアル。歩いて1~2分ほど離れた別々の沢から出た2つの滝が、落ちた後は一つの川に合わさるんですよ。ちなみに吉川英治さんの小説「宮本武蔵」では、“煩悩を払いたい”と男滝で修行していた武蔵が、この場所でお通さんと出会うのです。運命の恋。う~ん、ロマンティック~。なお、この区間を歩く時は、必ずクマ除けの鈴を持って下さい。妻籠宿か馬籠宿の観光案内所で貸し出ししています。また途中にクマ除けの鐘が設置してありますから、鳴らしてから進んで下さい。
  
妻籠宿は、お出かけになった方も多いかもしれませんね。江戸時代の風情が残った宿場町は、すばらしい雰囲気に包まれています。その中で私のイチオシは「脇本陣奥谷」。代々脇本陣・問屋を勤めた家で、現在の建物は明治時代の建築です。それまで禁制だったヒノキをふんだんに使った重厚なお屋敷なんですよ。明治天皇も立ち寄られたとのことで、お使いになった机、使ってもらえないまま保存されているトイレなど見ることができます。それを案内してくださったのが、松下郁子さん。何よりも楽しいのは、常に囲炉裏に火が焚かれていて、それを囲んでお話が聞けること。囲炉裏の囲み方にも決まりがあって、一番温かいのはお父さん=家長の座。畳敷きで、囲炉裏の灰の上に足置きの木材が置かれます。その向かい側から子供達が薪を足してお父さんを温めます。子供達の座は板張り。お父さんの右手が、おばあちゃん(お姑さん)とお母さん(奥さん)の座。子供達に近い方がお母さんの座なんです。ゴザが敷かれていて言われるまでわからなかったのですが、お姑さんの座は畳なのに、お母さんの座は板張り!おおお…。
 
 
ここはまた、島崎藤村の初恋の人の嫁ぎ先でもあります。その縁で、藤村直筆のお手紙が残されてるんですよ。上の階には隠し部屋が作られていたりして、しかも日向の松や豊後の竹が使われていて、遠く離れた九州の材木を引っ張ってこられたこの家の財力というものが想像できます。伊勢神宮を模した神棚もすごく立派で、棚を超えて小ぶりなお社でした。
そして、この家は秋分の日から春分の日までの秋冬限定で、こんな趣きある様子を見せてくれるのです。囲炉裏の燻され具合、お天気、日光の差し込む角度=時間+日付などで日々変わる光の芸術です。
 
妻籠宿は日が暮れてからの雰囲気がステキでした。日暮れ時から雨が降り始めたので、宿場の軒先に点ったあかりが濡れた路面に反射していい風情…。観光客がいない景色は江戸率が猛烈にアップしますよ!昼の妻籠しか見たことない人は、夕暮れ、夜、早朝の妻籠を絶対体験して欲しい!
□南木曽町(なぎそまち) → http://www.town.nagiso.nagano.jp/kankou/index.html
 

さわやか信州ブース

今年も、RKBラジオまつり「さわやか信州」ブースに足を運んでいただきありがとうございました。おなじみ信州のりんごたち~秋映・シナノゴールド・シナノスイート~も完売しました。残念ながら間に合わなかった方、これからはサンふじが出てまいりますので、お近くのお店でぜひお求め下さい。「善光寺門前おやき」、「養命酒」のハーブのお酒や限定商品の数々、「サンリツ」の味噌やおつけもの、安曇野から「スイス村ワイナリー」と「安曇野ワイナリー」のワインとジュース、さらに松本の地酒まで、たっぷり試飲試食して、ずっしりお買い物を楽しんでいただきました。ミス松本の水谷さんと大町レディースの茶屋道さんも参加して、華やかな空気で楽しさ倍増でした~。幸せ。私、毎年ラジオまつり信州ブースで自分のことを「りんご娘」などと言い放っておりましたが、訂正します。これからは「りんごねえさん」で(苦笑)、はい。
 
 
 
信州の物産はもちろんですが、信州の人たちもFDAの直行便で直送(?)されてまいりました。信州人の特徴として、議論好き、山好きが挙げられるかと思うのですが、この日の放送ではそんなやりとりの一例をご紹介しました。安曇野市のシンボルとしてもみんなに愛されている日本百名山のひとつ・常念岳。北アルプスの山並みの中、ピラミッド状にすっくと立つ標高2857mの美しい山です。この常念岳、どこから見えるのが好きか、美しいかで、議論ができるんですよ。Yさん「一番きれいなのは真っ正面から見える常念。どこが真っ正面かは人によって違うんですけど、僕は豊科から見える常念が真っ正面からだと思ってるので。イコール、三角形に見える常念、が一番好きです。」一方、Sさんは「常念は、本来テント型なんですよ。で、テント型の前のピークは頂上じゃないんですよ。奥にあるピークが頂上なんです。常念山頂のアタックは奥に登らないと山頂アタックにならないんですよ。だからアタックするテント型のピークが見えてないと常念じゃないんです。」と。Aさんは「安曇野市民はどこから見ても常念を愛してるんです。私の住んでるところから見えなかったので、どこから見ても好きです。」YNさんは「私が好きなのは穂高から見る常念。険しい、角度のキツイ方が好きです。あと、松本市のアルプス公園から見る常念も好き。見渡せる感じで。」と語ります。さらに、「男だったらこのルートから山頂を目指せ!」とか、熱い議論が繰り広げられていきます。すごいぞ。信州人。ちなみにお酒なしで、お茶と漬け物で議論を一晩中戦わせられるのも信州人の特性だそう。
そして、忘れてならない信州人の特徴!「信濃の国」という県歌を、みんな歌えること!番組コーナーのオープニングで流れている♪信濃の国は十州に~♪というあの曲。1~6番まで、長野県の自然・歴史・文化・偉人などを織り込んだ歌詞が続きます。放送では、信州ブースの準備の手が止められる有志に歌ってもらいました。長野県出身、もしくは学生時代に住んだことのある人に出会ったら「信濃の国、歌える?」って聞いてみてくださいね。話が弾んで、いっきに仲良くなれるかも(笑)。

木曽路を行く2

「さわやか信州レポート」コーナーのオープニング曲は「信濃の国」。長野県民なら誰でも歌える、年代によっては“踊れる”県民歌です。長野県の自然、名産、歴史、偉人などがたっぷりと盛り込まれた歌詞が、1~6番まで並びます。その中で、5番に♪朝日将軍、義仲も~♪と歌われる木曽義仲。ゆかりの地は、木曽町。平家追討の旗揚げをした宮の越地区に、資料館である「義仲館」と菩提寺の「徳音寺」があります。その名前と、義仲に愛された巴御前のことはぼんやりと知ってましたが、義仲が悲運の武将であったことは、義仲館で初めてきちんとわかりました。後白河法皇の命を受け平家を討ったものの、その法皇によって追われて亡くなったこと。義仲の失敗が鎌倉幕府を開く際の教訓となったこと、牛の角に松明を灯して平家の大軍を撃滅した倶利伽羅峠の戦いが有名だということ、幼なじみでもあった巴御前は才色兼備かつ力持ちだったこと…。義仲が、母上や巴御前、四天王とともに眠る徳音寺は、静かでいいお寺でした。
□信濃の国 → http://www.pref.nagano.jp/soumu/koho/kenka/kenka.htm
http://sbc21.co.jp/shinano/
□木曽町観光協会 → http://www.kankou-kiso.com/rekishi/yosinaka.html
 
時代はぐっと近づいて、大正時代のすばらしい近代化遺産がありました。しかも九州とご縁がなくもない。それは木曽川にかかる「桃介橋」。大正19年に完成した木の吊り橋で、全長247m、幅2.7m。下流にある読書(よみかき)発電所建設のためにかけられました。木組みの美しさと石積みの橋脚やコンクリートの主塔のコンビネーションがすばらしい!しかも木曽川の川幅が広いところを選んでかけられたそうで、技術への自信と気合いの見せどころだったってことでしょうか。この橋をかけたのが電力王と称された福沢桃介。福沢諭吉(大分出身)の娘婿です。しかも、桃介の愛人は、オッペケペー節の川上音二郎(博多の人)の妻で日本初の女優・川上貞奴です。あ、二人がいい仲になったのは音二郎の死後ですから。でも桃介と貞奴の出会いは、桃介が慶応義塾の塾生で貞奴が14歳のころ。貞奴が野犬に襲われたところを桃介が助けたのがきっかけで、恋に落ちたのでした。時を経て結ばれた二人ですが、実生活だけでなく事業面でもパートナーだったそうで、貞奴は真っ赤なバイクに乗って、桃介の発電所の建設現場に足を運んだのだとか。橋のそばに、二人が過ごしたレンガ作りのお屋敷があって、桃介資料館として開放されています。桃介橋、日常の橋としても現役ですから、登下校時には学生さんたちがわんさか歩いてるんだそうです。
 
 
さてさて、木曽は日本酒のおいしいところでもあります。「中乗さん」というお酒を作っている「中善酒造店」におじゃましました。創業以来150年をこえる梁や柱が残る店構えがとっても趣があります。「木曽の自然を生かした酒を造ってます。色気づいてないというか地味かもしれませんけど、地元食材に合わせられるお酒です。」と、取締役の南俊三さん。確かに、しっかりと気骨のある、主張のある味わいでした。9月のあたまに限定販売される「中乗さん~ひやおろし」は、予約してでも買いたい美味しさです。ちなみに、中乗さんというのは、民謡・木曽節に♪木曽のなあ~中乗さん~♪と歌われた人々で、木曽川に流して木材を運んだ際に木材の上に乗って運んでた人たちのことだそうです。木曽の酒蔵は、木曽川を挟んで御嶽山からの水を使ってるか、駒ケ岳の水を使っているかに分かれますが、それぞれに味が違うんですよ~。好みの方を見つけるまで、がんがん飲んでみましょう。ちなみに中乗さんは御嶽山からの水。
□中善酒造店 → http://nakanorisan.com/
 
また、木曽らしいものとしては木製品が挙げられます。南木曽町(なぎそと読みます)には、木を加工する職人さんたちが集まった「木地師の里」があります。おもにろくろを使って、木を回しながらカンナやノミを当てて、椀やお盆茶器といった日常雑器などがたくさん作られていました。野原工芸の野原廣平さんは、ろくろでボールペンやシャープペンシルの軸も作ってらっしゃいます。木材によって、色や持ち味などが違っておもしろいんですよ~。また息子さんはスピーカーなども作ってらして、ユニークな作品が並んでました。木曽の寒さが木を素直に、目の詰まったよいものにしてくれるそうです。もとは滋賀県が木地師の里だったそうですが、ご先祖様たちは、よりよい木を求めに求めて木曽にたどり着いたのだそうですよ。
 
 
また南木曽の工夫あふれる防寒着「なぎそねこ」も販売中。綿入れの背中の部分だけみたいなウエアで、リュックサックを背負う要領で身につけます。家事をするのに、檜笠を作るのに、腕周りがじゃまにならないのがいいという伝統の防寒着だそう。
□野原工芸 → http://www.nohara.jp/index.shtml
□南木曽観光協会 → http://www.town.nagiso.nagano.jp/kankou/index.html

長野県には、国宝ならぬ県宝というのがあります。福岡でいうなら県指定文化財、みたいなもんでしょうか。その県宝に指定されているのが、藤原家住宅。読みはふじわらではなく“ふじはら”。馬籠宿から妻籠宿に向かう途中にある大妻籠集落に近い山辺にあるのですが、この家が長野県内で最も古い民家のひとつといわれています。17世紀半ばの建築だそうで…。350年くらい前の建物ですよ~。切妻作りの昔の家は、土間、囲炉裏、太い梁…そして木曽らしい石積みの屋根。今は解体復元されて建築時の大きさに縮小されてますが、昭和22年までは藤原さん一家が普通に生活していて、座敷などが建て増しされていたそうです。奥さん曰く「冬は寒さが-10℃くらいになってましたから、コップの水が朝、凍ってたんですよ」と。りっぱな家ですが、木曽特産のヒノキは使ってません。「檜は使えなかったから、ほとんど栗の木。昔は幹一本首ひとつっていって、罰せられてたからね。」とのこと。そういえば、桃介資料館に留置場がありました~。
 
 
この藤原家住宅の奥さんが、敷地内で民宿をなさってます。宿の名前は「旅籠下村」。こちらの建物は総ヒノキ造りだそう。そういえば、2人用浴槽だけどお風呂もヒノキだった。宿では、木曽のお母さんのごはんとおしゃべりで楽しく過ごせます。宿のまん前で作っているお米や野菜が食卓にあがるのも楽しみなところです。朝ご飯から、白ご飯と栗赤飯が両方出たんですよっ。
  

木曽路を行く(1)

「木曽路はすべて山の中である」…木曽出身の島崎藤村は、そう表現しましたが、太田空穂は「木曽福島は谷底の町」と詠みました。それまで自分の町を山の中だと思っていた木曽福島の人々は“谷底”という表現に合点がいったそうです。また、木曽の人で「木曽は、山のてっぺんとてっぺんに物干し竿をかけて、洗濯物が干せる」と、笑っておっしゃった方がいたそうです。すべて納得。九州人からすると驚くべき風景が広がり…いえ広がれないので立ちはだかります。福岡だって山道を車で走っていると山がせまってくる感じはありますが、木曽のそれは距離感が違うっ。目の前に!垂直に!山がせまってくるんです!この感じ、ぜひ体感してほしいです~。
江戸時代、その木曽を通って京都と江戸を結んでいた街道が中山道。中山道最大の関所・福島関所や福島宿があった木曽福島の町を、「まちづくり木曽福島」事務局長の木村みかさんと歩きました。中山道は別名“姫街道”と呼ばれていたそうです。山道は険しいのですが、東海道に比べ治安が良く(おいはぎやかどわかしが少なかった)、そのため女性の通行が多かったのだとか。よって、櫛やかんざしなどの工芸品やお土産品が、東海道より早く発達したのだそうです。また、江戸と京都のちょうどまん中の位置だったので、両方の文化の融合点でもあったそう。小さい路地を「○○小路」と書きますが、これを江戸風だと「○○こうじ」と読み、京風だと「○○しょうじ」と読むそうです。で、木曽福島の町は、「こうじ」「しょうじ」のどちらの読み方も存在するのです。また、大火を免れ江戸時代の風情が残った「上の段」地区の小路の奥に400年前の石垣があったり…なかなか楽しい散策路です。
 
 
また、江戸時代の名残を、町の作りに今でも見ることができます。町人の多かったところは間口が狭く奥行きが長い町家作りのシンプルな屋根、代官屋敷の周辺=今で言う官庁街は武士が多かったので、どっしり四方に広がる入母屋作りの屋根や蔵。高台から眺めると、よーくわかります。また、木曽川の川原の上に家の一部がはみ出して立っている、表から見ると2階建てなのに川側から見ると3階建てという「崖屋造り」も見受けられました。木曽川は流れが速く、水が美しく、常に水音を響かせているので町を歩いていて、とっても気持ちがよかったです。歩きつかれたら足湯もあるし。癒しの友は木曽の秋の名菓「栗子餅」。激ウマです~。
 
 
そんな木曽福島の町を眺めながら江戸時代に思いをはせるなら「福島関所跡」がおすすめ。木曽川の断崖に臨む険しい狭い場所から時代を感じましょう。江戸屋敷にとどめられた諸大名の妻子の脱出を監視するため(“入り鉄砲に出女”ですね)、福島の関所では特に「女あらため」が厳しかったそうです。通行手形って木製かと思ってたら、木製手形は住人が日帰りで通行するためのもので定期券みたいなものなんです。遠出の場合は証文、文書だったんですよ。そんな資料も館内に並んでいました。
 
あと、「山村代官屋敷跡」も要チェック。入り口の桧並木がすてきなお屋敷は、全体のごく一部だけが今も残っています。お隣にある小学校も屋敷跡で、あちこちに“代官水”と名付けられた湧き水が出てました。江戸時代を通じてずっと木曽を治めた山村代官。江戸時代を通じて転勤させられることがない、代々なかなかの人物だったそうです。代官屋敷では参勤交代の大名をご接待していたそうですが、大名の石高によって使う部屋も違っていたとかで、そんな資料も残っています。代官家を守る「山村稲荷」のお社の床下に住みついて、泣き声で町の吉凶ごとを知らせていたといわれる狐がいたそうですが、その狐のミイラをご神体にした稲荷神社も祭られているんですよ。
□  まちづくり木曽福島 → http://www.nanchara.net/
 
木曽福島での宿は「駒の湯」。もう120%の勢いでオススメの宿ですっ。明治時代の創業から113年。もとは駒ヶ岳登山客や湯治客のための宿から始まりました。宿の目の前の道は駒ヶ岳への登山道。宿の位置は2合目にあたり、標高は1000m近くだそう。それゆえ朝晩の冷え込みは段違いで、9月末なのにロビーにはストーブが…入ってました。
 
その分、お風呂のありがたみがアップします。木曽檜造りの内風呂はうっすら赤みを帯びた鉄鉱泉の温泉、露天風呂は木曽人の知恵のたまもの・薬草風呂です。
 
料理はデザートまで手作り!という駒の湯。支配人が料理人でもあります。地産地消のメニューなのですが、ひと工夫が光った料理が並びます。信州の宿で定番になりつつある信州サーモンも、サラダっぽく仕上げてドレッシングでまとめます。にじますも、焼いてさらに揚げて甘酢に漬けるという、支配人のお母さんのレシピをアレンジしたスタイルで出てきます。苦手な人が多い鯉だって、皮を取って焼いて大骨を取って凧糸で巻いてダシと調味料で煮る…といった具合。それを仲居さん達がしっかり紹介してくださるんです。お酒一つ提案するのでも、木曽の人としての心が入った個性が感じられる言葉が出てきて、食事がより楽しく美味しくなるんです。「そのベビーコーンはうちのスタッフの畑で採れたんですよ」とか「うちにはキノコ採り名人がいましてね…」なんて話も最高のスパイス。
 
 
支配人は「いわゆる景勝地とは違うものが木曽の良さだと思うんです。誰もが見て『すごい!』っていう景色じゃないけど、小さい頃、当たり前のようにあった風景が木曽には今も残ってるんです。そういうのを見た時にちょっと昔を振り返るというか、大きくなくてもいい小さな感動があれば…単純に星がきれいとか、そういうのを感じていただければいいかな」とおっしゃってました。

部屋の窓からは、日本百名山のひとつ御嶽山も見えます。また宿の庭先に「御嶽山展望所」と名付けられた広場があり、ここからの眺めがまた美しいのです。とくに夜明け前後はすばらしい色合いですよ~。
  
□ 駒の湯 → http://www1.ocn.ne.jp/~komanoyu/

御船祭りとアンビエント安曇野

安曇野市の穂高神社で毎年9月27日に行われるのが「御船祭り」。船型の山車に穂高人形を飾った大小5つのお船が、笛や太鼓のお囃子にのって氏子に曳かれて境内に入ります。さらに神様の前を周る中で、御船同士が激しくぶつかり合う迫力あるお祭りなのです。この御船、長さ12m、高さ5.6m、幅2.8mものサイズの大人船2艘と小ぶりな子供船が3艘あります。船の中には御囃子衆が十数人乗り込めるほど。鳥居をくぐらせるのもやっとな感じ。その大きさで川の船ではなく海の船だと想像できます。お船の膨らんだ部分は毎年新しく作られるそうですし、船上を飾る穂高人形も、毎年、歴史物語などを題材に穂高人形師の手によって作られます。ちょっと博多・櫛田神社の祇園山笠との共通点も感じます。
 
 
お船の前後のふくらみの部分は、それぞれ男腹(おばら)女腹(めばら)と呼ばれ、着物が何十枚も掛けられており、着物の持ち主は1年間無病息災で過ごせると言われているそうです。
  
20mくらい離れた大人船同士が、笛太鼓の音色や打ち鳴らされる鐘に囃したてられるようにしてぶつかる瞬間、「ガッ」と「ドッ」という音が混ざったような硬くて重たい響きと、観客の「おおっ」というどよめきが境内を揺らします。3度もぶつけ合ってると、穂高人形もぼろぼろに…。
 
 
迫力満点ではありますが、御船同士をぶつけ合う中で何回かは、ぶつける前に御船を左右に揺さぶる演出を見せたりしますし、また、神前を曳き回すのに一度で回りきれずちょっと戻ったり、ラインを取り直すために止まったりと、のんびりした部分もあるんです。日常がきちんとしてる感じの信州人なのに、この緩やかさはちょっと意外でした。博多祇園山笠では考えられない…。あ…日常が緩い(?)博多人だから、祭りはびしっときびしいのかしら???穂高神社権宮司の穂高さんが「御船、曳かせてもらえるんですよ」と教えてくださったので、早速参加!これが想像以上に重たくて、想像以上に本気で走らねばならないんですよっ!「はあはあ」言いながら、でもとっても楽しかった。
 
御船祭りについて、「一年で最大のお祭りであり、阿曇族そのもののお祭り」だとおっしゃる穂高神社宮司の小平さん。「この北アルプスの麓の穂高神社で、海のお船を曳き出す御船祭りなんて…って、不思議がる方もいらっしゃるんだけど、このお祭りこそが千数百年前に、阿曇族が福岡の志賀島・博多湾一帯から安曇野へ入ってきたということの証のお祭りじゃないかと思うんです。」ともおっしゃいました。穂高神社の祭神は「穂高見神(ほたかみのかみ)」で、福岡市東区志賀島の志賀海神社の祭神「綿津見神(わたつみのかみ)」の子供。志賀島周辺を中心に、玄海灘~対馬海峡~朝鮮半島~中国までを思いのままに動いていた海の民・阿曇族が、海の神様を連れて信州まで移動したということになります。御船祭りの行われる9月27日は、663年白村江の戦い(倭・百済vs唐・新羅)で戦死した倭軍の指揮官・阿曇比羅夫の命日です(もとは旧暦8月27日)。御船同士をぶつけ合うのには「五穀豊穣」「子孫繁栄」の願いがこめられているといいますが、「今、この地で生活している阿曇人が元気にやっている姿を神様にお見せするという意味もあるんじゃないかと思いますよ」と、小平宮司はおっしゃってました。
 
今回の宿泊先は「ホテルアンビエント安曇野」。北アルプスの裾、いえ、やや中腹、標高1000mに立つリゾートホテルです。メインの建物は全部で196室。さらに65のコテージがあり、敷地が18万坪という広大さ。このホテル、建物が一直線でなく波打つように建てられているのです。理由は等高線に沿ってホテルを建設したから。「そうすることで、山の景観を損ねずにすみますし、建設のために山を切り開く分量が少なくてすみました」と、アンビエント安曇野の和田さん。
  
また、北アルプスがのぞめるマウンテンビューの部屋と安曇野の町が見下ろせる部屋があります。ほとんどのお部屋にはキッチンと食器、調理器具が完備してあって、長期滞在も可能。安曇野の美味しい食材を自分で調理する滞在も楽しそう。館内のレストランは山の景色が美しいところばかり。たまに朝食会場がテラスに設定されることもあって、これまた最高の気分になれるそうです。4階のレストランには窓ガラスに、窓越しに見える山の形と名前が描かれていて、これはうれしいおもてなしでした。館内で楽しめる食事も安曇野素材を中心に地産地消で提供されます。信州サーモンと岩魚のお刺身、マツタケ、信州牛、野菜…どれも美味しいっ!合わせるのは、やっぱり信州のお酒で(笑)。ちなみにこの日は「大雪渓」。
 
 
お風呂も温泉で気持ちよし。露天は目の前が緑の木々。たまにお猿と出会うそう。露天のジャグジーにはテンションが上がりました~。ここを基点に常念岳登山を楽しむ方もいらっしゃるそうで、アルプスを満喫できるホテルです。
□ ホテルアンビエント安曇野 → http://azumino.izumigo.co.jp/