Monthly Archive for 9月, 2009

諏訪と駒ヶ根

長野県で一番大きな湖・諏訪湖。湖周15.9km、面積13.3平方km…といってもピンとこない…ですよねえ。私の個人的感覚で言うと「え?これ、博多湾ですかっ?」って感じの大きさです(これ洞海湾ですかっでも可)。湖畔の景色というのは、かなり新鮮でした。
諏訪湖畔は、時計やオルゴールなどの精密機器生産が盛んなところです。きっかけは、SEIKOが戦時中に疎開してきたことだそう。教えてくださったのは『諏訪湖オルゴール博物館・奏鳴館』館長代行の山﨑克弘さん。「諏訪湖畔が時計とオルゴールの故郷スイスによく似ている(レマン湖)」「内陸地なので輸送コストのかかる大きなものを作る訳にいかない。小さくて誰にもできないもので、しかも付加価値の高いものを作る必要があった」のに加え、「信州の気候風土のため、冬は雪に閉ざされ寒さに耐え、なおかつ食べ物を工夫する歴史が、小さくてとても作れないといわれるものを“オレにやらせろ!”と言わせ実現させる信州人の粘り強さ」と「大工場の部品を作ることで産業を支える小さな工場を切り盛りする、信州人の独立心の旺盛さ」も背景にあるそうです。この奏鳴館では、自分でオルゴールを作る体験ができます。600曲の中から曲を決め、ゼンマイや櫛歯などの部品を組み立て、音を調節し、箱や人形に入れてできあがり!櫛歯が斜めに当たるときれいな響きが出ないし、なかなか調節が難しいっ!でも、日本電算サンキョーでオルゴール作りを担当していたOBのみなさんが、サポートしてくれますので、ぶきっちょな私でも、ふふ、完成~。ちなみにサンキョーのオルゴールは、最盛期で世界のオルゴールムーブメントのシェア95%を占めていたんですって!所要時間は40分くらい。予算は2000円くらいからです。奏鳴館→ http://www.someikan.com/

また、10月24日から11月15日は「信州諏訪温泉泊覧会ズーラ( http://zoola.jp/ )」が行われています。諏訪の普段の生活を観光として楽しめる小さい旅のパッケージがいっぱいです。この時期に行けなくても、旅のヒントになる情報がいっぱいです。ホームページもチェックしてみてくださいね。
そして、長野県の南のほう駒ヶ根へ。訪ねたのは「宝積山光前寺( http://www.kozenji.or.jp/ )」。境内全体が国の名勝に指定されているお寺です。開山は平安時代。来年は1150年祭だそう。しかも、善光寺のご開帳の翌年と決まっている、7年に1度のこの寺のご開帳と重なるスペシャルイヤーとなります。樹齢数百年の杉並木の参道は心がすーっとしてきます。で、さらにすごいのが「ヒカリゴケ」!光の反射によって金色に光って見える苔です。生まれて初めて見ました。貧弱な表現ですが、蛍光塗料の粒々みたいなコケなんです。参道の石垣の隙間に見えますよ。本坊客殿奥の庭園に面した縁の下は、かなり見やすいです。見ようと思って近づきすぎると光が消えてしまいます。「光の反射で見えるのですから、覆いかぶさるように近づきすぎては見えませんよ。少し離れて、光を入れてあげなさい」と、ご住職の吉澤道人さん。何だか仏様の教えのようです。欲張ってがっついていては、美しいものをだめにしてしまうのね…。庭園も滝組みもおもしろく美しいお寺です。庭園を拝観すると、お茶とお菓子のお接待があり、お茶の器はおみやげとして持ち帰れますよ。これからの季節は紅葉がとてもきれいだそうです。あと、春の桜!しだれ桜がそりゃあ美しいんですって~。人助けに大活躍した名犬「早太郎」の伝説も興味深いお寺でした。
 
 

木曽~中山道の宿場町~

まずは、木曽福島宿。古い町並みが残る“上の段”という地区を地元ガイドの蓑原悦子さんに案内してもらいました。
 
この木曽福島宿は、京まで68里、江戸まで69里、とちょうど中山道の真ん中。しかも一番谷が狭い地域。よって、関所が置かれていた場所だったそうです。東海道の関所はみなさんご存知の箱根、ですが、中山道はこの木曽福島だったんですねえ。初耳。また宿場の入り口は直角に2ヶ所曲げられた「鍵の手」状になっている上、急な坂、また道幅も狭いという、すんなり通れない造りになっています。ちなみにこういった「枡形」などの防衛上の工夫は宿場町の西側に設けられているそうで、「徳川家康は天下を取って幕府を開いたけれども、西から毛利や細川などの大大名が攻めてくるのを恐れていたのかも」とおっしゃってました。また、この上の段地区には、“上の段用水”といわれる水道があります。戦国時代、ここが、木曽義仲から数えて19代目の木曽義昌の上の段城の城郭内だったため、城造りの時に上流から水を引いて造られたのがそのまま残っているものです。400年以上の時を越えて流れ続けているのだそうですよ。
木曽福島宿→ http://www.kankou-kiso.com/rekishi/index.html

また木曽福島は木曽漆器の発祥の地のひとつでもあるそうです。1860年(万栄元年)創業の「よし彦」の加藤真和さんにお話を伺いました。( よし彦→ http://www.urusi.com/ )
漆といえば、「つややかな黒や赤にキラキラの絵」という先入観を持っていた私。茶色に木目が透けて見える色合いのおひつにびっくり!生の漆をすり込んでいくことで、木地のままだと汚れたり長く使えなかったりするのを防げるのだそう。木曽の良質の木材の風合いを生かせる方法ですよねえ。「“素朴で、日常雑器”が木曽漆器の発祥なんですよ」という加藤さんの言葉に納得です。もちろん艶やかな漆器もありますから、ご安心を!っていうか、これもまた美しいんです~。「これで木曽のお酒を飲んだら、さぞおいしかろう」と思える片口に心を奪われた同行スタッフ。ウン万円の値札を前に、こぶしを握り締めて我慢してました。漆器というとお高いイメージでしたが、手ごろなものだと、お箸一膳170円からあるんですよ。私はお箸を購入。木曽ひのきのお箸って、すんごく軽くてはさみ具合がいいんですよ。おすすめです。「ひのきやトチ、ケヤキの木の風合いを生かしつつ素材の質感の一番いい形を引き出すのが仕事。木曽のいい材料を一番いい使い方で生かしていくんです。」という加藤さん。次は、お椀を買いに行きたいです!

そしてもう一ヶ所。日本一といわれる規模の奈良井宿( http://www.naraijyuku.com/ )。江戸時代、木曽十一宿の中でも最も賑わっていたという宿場町です。木曽ひのきでできた橋を渡り、宿場内に入ると東西に1kmほどの長さに300軒くらいの街並みが続きます。格子やうだつなど、江戸後期の建物がかもし出す雰囲気は格別ですし、江戸時代から続く水場も残っています。
 
 
お話をうかがった奈良井宿観光協会会長の永井康宏さんの家は「越後屋」という味処。ざるそばと五平餅(奈良井宿は丸い型)の定食でお腹いっぱい木曽を味わいました。そして、奥の方までお店を見せてくださいます。間口が狭く奥行きの長い町家造りで、通路があって店、店座敷、お勝手、奥座敷という間取りが基本なのだそう。越後屋は江戸時代は塗り櫛などを作っていた漆職人さんだったそうで、表に看板として掲げてある器は、当時使われていた道具であり家宝だとおっしゃってました。のんびり時間を取って歩きたい街並み。ぜひ季節のいい時にお出かけください。ああ、いつか中山道を歩く旅をしてみたい…。
 
 

小説「失われた弥勒の手~安曇野伝説」

福岡と信州をつなぐ大きな結び目のひとつ“安曇族”のことを題材に取り入れた小説です<松本猛・菊池恩恵共著 講談社刊 1800円>。著者の一人、松川村にある「ちひろ美術館」の館長で、いわさきちひろさんの息子さん松本猛(まつもとたけし)さんにお会いすることができました。
 
小説のあらすじは…。突然事故死した父親の残した手帳に記されていた謎のメモ。その真相を探ろうとする主人公・波多野渉は、安曇野の寺にある古い時代の、また美しい弥勒菩薩像に出会う。旧友や、偶然出会った韓国人女性らの力を借りながら見えてきたのは、安曇族と、日本から朝鮮半島にまたがる壮大な古代史の謎とロマンだった…というもの。松本さんにとっての執筆のきっかけも、松川村の観松院というお寺にある、その弥勒菩薩。(通常、拝観できませんのでご注意を。)大変古く(日本最古レベル)美しい渡来仏だそうで、「なぜこれが安曇野にあるのか?持ち込んだのは、きっと古代の大きな勢力だったに違いない。」から全ては動き始めたそうです。
小説の主人公の父親が亡くなるのが「魏石鬼岩窟(ぎしきのいわや)」の近く。それは、6世紀頃の横穴式の古墳で“八面大王(はちめんだいおう)伝説”というのが残されています。ざっくり記すと――昔、八面大王という鬼の親玉が棲んでいて、まわりの小岩屋には家来の小鬼が棲んでいた。桓武天皇の頃、魏石鬼は有明山に登り「これ吾住むべき地なり」と、自らを八面大王と称し、部下を集めて岩屋を作った。この鬼は魔力を使って悪さのし放題をし信濃の人々を困らせていたが、延長十年、坂上田村麻呂が八面大王と家来を討ち取った――というもの。この魏石鬼岩窟、天井部分に巨石が使われている造りで、八女地方の古墳や蘇我馬子の石舞台などと共通しています。つまり、それらのスタイルを知っているかその文化を共有していた民族のなせる業ということになります。
 
さて、この八面大王→八女大君(やめのおおきみ)の読み替えともとれませんか?八女大君というのは、527~8年“磐井の乱”で1年に及ぶ戦いの末、大和朝廷に滅ぼされた(ということになっている)筑紫君磐井のこと。日本書紀では“新羅から賄賂を贈られ、大和朝廷の朝鮮への派兵を邪魔した”ことで討たれた…となっていますが、どうやら、強大化する九州王権を抑えるとともに朝鮮半島とのつながりも支配したかった大和朝廷が仕掛けた戦だったとの説もあります。このころ、玄界灘から対馬海峡を経て朝鮮半島までの制海権を持っていたのは、安曇・宗像・住吉といった海人族。その中でも、安曇族は筑紫君磐井と深くつながっていたようです。磐井の乱の後、磐井の本拠地八女にいなかったので斬殺を免れた磐井の子・葛子は、糟屋の屯倉(みやけ)を大和に差し出すことで命を永らえたのですが、この糟屋地区は安曇族の本拠地なのです。なお、筑後国風土記では「磐井は豊前方面へ逃れ山中で死んだが、大和はその姿を見失った」となっています。福岡で居場所のなくなった磐井の一族が、安曇族とともに日本海を北上する運命になったと考えられますよね。なお安曇野地域は、646年、安曇郡として制定されています。地名になるくらいですから、安曇野に定住した安曇族は、郡になる時点でかなり大きな勢力だったはずですね。古代は文書で残されていないことも多いゆえ、解釈もいろいろ。ロマンが広がるってもんです。小説「失われた弥勒の手」の大きなヒントになったという、 坂本博さん著の「信濃安曇族の謎を追う-どこから来てどこへ消えたか-」(近代文芸社刊・1200円)も、ぜひどうぞ。観光で訪れるのはもちろんですが、古代のロマンをテーマに信州を旅するのはいかがですか?

ここで、松本さんに教えてもらった北部九州と信州の共通点、海の民の名残をいくつか並べてみます。
・ 馬肉を食べる風習も九州と信州。
・ とうがらしのことを“こしょう”と呼ぶ。
・ 魚が大好き。(ただし信州では、基本は全て塩漬けですが)
・ おきゅうと(エゴ・イゴ)を食べる。お盆には必ず食べます。先祖への思いを馳せているのでは?(長野県内でも、梓川以南は食べません)
・ お祭りに出る山車は「ふね」の形。
・ 有明山の存在。有明山があるのは、日本に4ヶ所。安曇野(長野)、善光寺平(長野)、対馬(長崎)、大雪山(北海道)。前3つについては、いずれも神様の降りるきれいな形で、一民族の信仰の対象として見ることができる。ちなみに、信州の有明山には古墳あり。
・ 日本海側にある「有明」という地名は「しか・しが(志賀)」「あづみ(安曇・安住)」とつながっている。
・ 伽耶国(古代朝鮮半島)の影響を受けた古墳・カメ棺・装飾品の出土。
あ、芸術を満喫するのもいいですよ。ということで、ちひろ美術館の外観と庭をおまけにどうぞ。
 

穂高神社

20年に一度行われる御遷宮で、今年5月に本殿が新しく建て替えられた穂高神社。しかも拝殿は、昨年末に127年ぶりに建て替えられました。木曽ひのきとケヤキの香り立つ真新しいお宮は、より背筋がしゃんと伸びる空気に満たされています。実は、この穂高神社、福岡と密接な関係にあるんです!お話を権宮司の穂高光雄さんに伺いました。
 
安曇野の地名とともに海人族・安曇族にゆかりが深いとされる、この穂高神社の御祭神は海の神様=穂高見命(ほたかみのみこと)。この神様の親が綿津見命(わたつみのみこと)で、福岡市東区の志賀海神社(しかうみじんじゃ)の御祭神です。この志賀海神社の宮司さんは代々「阿曇(あづみ)さん」。実は、古代、安曇族の本拠地は福岡。今の東区志賀島あたりを中心に、玄界灘、対馬海峡、朝鮮半島までを自由に行き交っていた海の民だったそうですよ。その安曇族が時を経て信州へ移動して行ったのです。今は安曇野と東区の子供たちが、一年おきに相手方を訪ねて交流が行われています。「不思議だけど、他にも共通点や海とのつながりがあるんですよ」と、おっしゃってました。
(1)おきゅうとを食べる!
   博多の朝ごはんの友とでもいうべき「おきゅうと」。エゴノリを乾燥させ、煮詰めて漉して固めて薄く延ばした…ご存じない方には「平ぺったいところてん」みたいな食べ物だと思っていただければいいかな?…この食べ物が、遠く離れた信州で、主に夏、お祭りの時に必ず食べるのだそうです。信州では、「おきゅうと」とは言わず「エゴ」「イゴ」などと呼ばれます。新潟から安曇野までが「エゴ」食エリア。少し北の大町では「イゴ祭り」があるとか。
(2)山の中なのに「御船祭(おふねまつり)」
   9月27日の御船祭では、町内から氏子の曳く大人船2艘と子供船3艘が引き出されます。大人船の大きさが長さ12m、高さ6m。これだけで、川ではなく海の船のイメージだということがわかります。クライマックスでは2艘の大人船をぶつけ合います。この御船の舞台部分には、時代絵巻を思わせる穂高人形が飾り付けられ、船体の前部には男腹(おばら)、後部には女腹(めばら)と言われる膨らみが付けられます。男腹・女腹部分には晴れ着がかけられ、その持ち主は1年間無病息災と言われます。この御船、車輪のついた土台部分だけは毎年使いますが、人形や腹部分は毎年新しく作ります。何だか、博多・櫛田神社の祇園山笠に似てませんか?
(3)海人族の名残りか「穂高造」
   本殿の造りに注目しましょう。三角屋根のラインをてっぺんの交差を越えて延ばしてクロスしている木、それが千木(ちぎ)。屋根の棟(てっぺんのライン)に並んで置かれるのが勝男木(かつおぎ)。普通は、てっぺんのラインにクロスするように=直角に短い丸太状の木が数本並べられますが、穂高神社は違うんです。棟の真上=てっぺんのライン上に、棟の中央部分から左右に向かってやや角度を上げて、ゆるいVの字型に伸びています。これが「穂高造」といって、他のどこにもない造りなのだそうですよ。海人族の表れとでも言いましょうか、「釣竿を差しかけた形だ」とか「船のオールだ」とか、海に関する諸説があるそうです。

(4) 「ほだか」じゃないよ、「ほたか」だよ。
   これは中島の勝手な意見ですが、神社名も、社家である権宮司の穂高さんも、読みは濁らず「ほたか」。「中島=なかしま」「高田=たかた」「田島=たしま」など、濁らない読みが多い九州(西日本エリア)の流れっぽくないですか?
さて、この穂高神社。この安曇野にあるのは本宮。奥宮は、上高地の明神池のそばにあります。そしてさらに!嶺宮が!場所は北アルプスで一番高い穂高連峰の奥穂高。標高3190mでございます。本宮・奥宮はお参りしたけど、嶺宮までは…一生無理かも…(涙)。でも、7年に一度、神職と氏子総代、そして一般参加希望者で、お参りのため登るそうです。涸沢で泊まって日の出とともに嶺宮に向かって出発する、本気の山登り。初心者でも大丈夫だそうなので、山好きの方、いかがですか?
● 穂高神社 → http://www.hotakajinja.com/