16回目も粕屋郡久山町を歩きます。
2017年1月14日

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※写真は斎宮
久山町には神功皇后関連のものがたくさん今も残っています。
先週歩いた天照皇大神宮の入り口近くには天照皇大神宮古宮跡があります。
文字通りかつてここにあった天照皇大神宮の跡です。
さらに1キロくらい北へ行ったところにあるのが斎宮です。
神功皇后は夫の仲哀天皇が託宣に従わなかったことから亡くなってしまいますが、その遺骸を一時安置するために斎宮を作ります。そして、託宣の聞き役である中臣の烏賊津連に夫にたたった神をきくためここに籠もります。
その託宣を聴く人~審神者(さにわ)が烏賊津連で、近くにこの方を祀った審判者神社もあります。
斎宮は地形的にみますと二つの川に囲まれたところにあります。
その香椎の方面から南下する入り口にあたるところにあるのが黒男神社(くろどん・じんじゃ)。後ろにはこんもりした山があります。
ここに祀られているのが神功皇后に仕えた武内宿禰。
つまり、ここで敵の侵入を防いだものと思われるのです。

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15回目は粕屋郡久山町を歩きます。
2017年1月7日

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粕屋郡久山町は神功皇后関連の場所がたくさんあります。
久山町猪野という場所にあるのが天照皇太神宮。
神功皇后の夫の仲哀天皇は託宣を聞かなかったために急死しますが、それは誰にたたられたのか、と皇后が天の声を聞くと天照大神だといわれます。
そこで、ここに天照大神を祀ったのが始まりだといわれます。
階段を少し上ると右手に高さ10メートル程の滝が現れます。その音と、高さ50メートルはあろうかという大きなスギの木立に囲まれて、霊気を感じます。
まず、拝殿があり、さらに石の階段を上がると本殿が現れ、さらに上段に建物跡があります。
何でも本殿は20年に1回遷宮があり、今は中段に本殿があるが、遷宮祭の時に上段に移されるのだとか。
現在あるお宮は伊勢神宮に模して立てられており、かつては「九州のお伊勢さん」といって茶店もたくさんあり賑わったそうです。

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福津市の新原奴山古墳群を散策するのにおすすめなのが「つやざき観光馬車」。
北海道生まれ大きな馬・オーロ君(体重約1t)が、心休まる蹄の音を立てて連れて行ってくれます。
馬車を運行しているむなかた乗馬クラブ馬車部部長の増田美佐子さんにご案内いただきました。
3m近くになる視点から見る古墳の迫力や曲線は、新鮮なおもしろさですよ~。
古墳コースの基本は1台貸切1時間ですが、時間延長も可能ですし、お得な乗合プランもありますので、相談してみてくださいね。
つやざき観光馬車→
http://junglefukuoka.com/service/horseclub/tsuyazakikankoubasha.html

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14回目は福津市の新原・奴山古墳群を歩きます。
2016年12月31日

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※写真は新原・奴山古墳群
今回は世界遺産登録をめざす「宗像・沖の島と関連遺産群」の一つ新原・奴山古墳群を歩きます。
福津市の勝浦から手光まで南北8キロ、東西2キロの範囲に前方後円墳5基、方墳1基、円墳53基が発見され、このうち41基が現存しています。
このうち最大のものが22号墳の前方後円墳で、これは宗像の君の古墳ではないかと見られています。
唯一の方墳は海岸に一番近いところに位置し、その下に広がる畑はかつて入り海だったところです。
ここに方墳があるところから、これを祀りの祭壇として使ったのではないかという説もあるそうですが、詳細は不明です。
古墳の中を歩きますと、ヤギが一頭、草を食べていました。何でも案内していただいた福津市の世界遺産登録推進係長の池ノ上宏さんの話では、最近はあちこちの古墳で、ヤギが雑草の処理をする手伝いをしているのだとか。
一面緑ばかりの中でのヤギの白さは大変目立つものでした。

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初詣では宗像大社(辺津宮)へ。せっかくですから、1回500円・空くじなしの福みくじにもチャレンジしてみては?
お掃除ロボットやお正月の縁起物など、担当神職さんこだわりの景品ラインナップです。
広報担当の権禰宜・鈴木祥裕さんが新年の良さを感じるのは、拝殿に日が当って屋根が輝いているのを見た時だそう。
また、おすすめは、社殿のない古代の祭を現代に継承する地・高宮斎場。仕上げは沖ノ島から出た国宝を神宝館で観賞いたしましょう!

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13回目は宇美八幡宮の続きを歩きます
2016年12月24日

宇美八幡宮のうぶゆの水まできました。今でもこんこんと湧き出ている清らかな水。
これを神功皇后は応神天皇出産の時に使ったといわれます。
「うぶゆの水」と名前を書いた石の碑があります。何でも広田弘毅が子供の頃に書いた字だとか。大変にうまい字です。
そばには産着をかけた衣掛けの森という樹齢二千年を超えるクスの木がそびえています。
境内にはもう一つ大きなクスの木があります。
こちらは「湯蓋の森」といい、形は風呂桶に上から蓋をした形をしています。
これも神功皇后が産湯を使ったことからきています。
そして、その横には湯方神社があります。これは神功皇后のお産を助けた女官を祀ってある神社です。
神社の裏側には胞衣ヶ浦(えながうら)という皇子のへその緒を埋納した場所もありますし、そのずっと先が「しょうけ越え」につながっていくのです。

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宇美町・四王寺山山頂にある毘沙門堂では、毎年1月3日に毘沙門天詣りが盛んに行われているそうです。
江戸時代ごろから続く風習で、お堂からお借りしたお金を翌年倍にしてお返しすると、金運に恵まれる…らしいです。
また、四王寺山は日本最古の山城=大野城のあとでもあります。
1周7~8kmもある、大きすぎて説明なしにはわかりにくいところもありますが、石仏がたくさんあるのを見てまわるのも面白いそうです。
宇美町立歴史民俗資料館館長の平ノ内幸治さんに教えていただきました。

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12回目は神功皇后と関係が深い宇美八幡宮を歩きます。
2016年12月17日

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※写真はうぶゆの水。碑の字は廣田弘毅といわれます。
粕屋郡宇美町の宇美八幡宮、ここは神功皇后が朝鮮出兵から帰って、子供の応神天皇を出産したところとして知られています。
境内は巨大な楠の木がたくさんあります。中でも神功皇后と関連の深い木が樹齢2000年以上といわれる衣掛の森。
神功皇后が出産の際、産衣をかけたといわれます。
境内を左回りに歩きますと、まず、本殿の横に現れるのが左程大きくはない槐(えんじゅ)の木。
神功皇后が出産の際、この木の枝をもって出産したといわれます。
そして、衣掛の森を右に見てその左の一段低くなっているところから水が湧き出ている場所があります。これが産湯の水。その横にあるのが湯の方神社。
お産を助けた女官を祀った神社です。
そして、さらにその横にはおびただしい小石が積んであります。
これが、子安の石といい、妊婦はここから石を預かり、安産ののち新たに自分の子供の名前を書いた石を加えて奉納するものです。

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宇美八幡宮の敷地内にある和菓子屋さん「季のせ(ときのせ)」。ここには安産と子育ての神様=宇美八幡さまにちなんだお菓子が並んでいます。
寒い時期の定番・人気商品は『いちご大福』。
「季のせ」のいちご大福は練乳餡。赤ちゃんのほっぺの様なやわらかさ、おかあさんのおっぱいの様なピンク、とろける餅とミルクといちごのハーモニー…。
お口の中でお母さんと赤ちゃんが笑ってるみたいな味です。
1月からは子安の石にちなんだ『うみもなか』も新発売です。
また、併設されているタイ焼きやさん「鯛笑(たいしょう)」の親子鯛焼も美味!神社とのご縁を大切にお菓子を提案する若きご主人・宮部圭吾さんがまた素敵です。

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11回目は筑紫野市の丘陵から見つかった土塁の話です。
2016年12月10日

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※写真は土塁の一部
土塁は西鉄電車の筑紫という駅から歩いて5分くらいの小高い丘から見つかったものです。7世紀頃作られたとみられています。
663年、百済救援に向かった日本は白村江の戦いで唐と新羅の連合軍に敗れてしまいます。
心配したされたのは、逆に唐と新羅が日本に攻めてくるということでした。
そこで大宰府防衛のために作ったのが山城と水城だといわれます。
佐賀県の基肄城、大野城市の大野城といった山城と大宰府の水城です。
実は大宰府近辺には羅城というものが作られていたのではないかと説がありました。
これは住居を城壁でぐるりと囲むもので、そういった城壁みたいなものが大宰府を囲む形であったのでは、という説です。
これまでは、それを証明するものはありませんでした。それが突然その一部ではないかとみられるものが出現したのです。
それが前畑遺跡の土塁なのです。
長さは500メートルも続くものだといいますから、今後の発掘に注目です。

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大島の新名物「漁師サンド」。ゴマ入りパンに魚のフライと炒めたキャベツ、自家製タルタルソースがたっぷり入った逸品です。
作っているのは、フィッシャーマンキッチンの豊福美沙さん。漁師さんの奥さんです。
だんなさんのみならず、島の漁師さん達も協力して出してくれる魚は、刺身にしてもいい新鮮さゆえ、フライにした時の濃厚な旨みがすごいんです。
大島で子育てしながら、大島に来てくれる人たちにおもてなしをしたいという熱い気持ちが詰まった「漁師サンド」。
1個380円。大島のフェリーターミナル前で、船の時間に合わせて週に2~4日の営業です。
詳しくはFacebookをチェックしてくださいね。

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10回目も引き続き鐘崎の漁師さんに話を聞きます。
2016年12月3日

前回の宗像市鐘崎の漁師さん、権田幸祐さんの話の続きです。
世界遺産登録をめざす沖の島近辺の海は権田さん達漁師さんの漁場でもあります。
沖の島は権田さん達にとっては漁場の目印になる島ですし、昔から神宿る島といわれ神聖な島でもあります。
沖の島であったことはしゃべってはいけないし、一木一草この島から持ち出してはいけないという禁忌が今でも生きています。
あるとき、権田さんがこの沖の島の近くで漁をしているとき、海の深いところできらきら光るものがあります。
権田さん「ひょっとすると、これは沖の島の宝物が漂着してこの海の中で光っているのではないか?確認せねば!」と思いました。
寒い冬の海の中、権田さんは海へ飛び込み、その光るものを手にして、がっかり。
キラキラ光るものはパナソニックの乾電池だったそうです。
権田さんこんな神聖な場所にこういうものを捨てた人に無性に腹が立ったそうです。
今回は漁師さんと沖の島について話を聞いています。

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「第2回“神宿る島”宗像・沖ノ島と関連遺産群フォトコンテスト」の締め切りが近付いてきました。
まだ間に合う!うえに、今年は入選の可能性が高い狙い目です。
だって、今年1月以降に撮影した写真という条件が付いているから!
詳しいお話とおすすめポイントを、担当の福岡県世界遺産登録推進室・主事の大場綾乃さんに聞きました。
近距離からの新原奴山古墳群や大島の中津宮がよさそうですよ~。

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出品の詳細については、県ホームページをご覧ください。
→ http://www.okinoshima-heritage.jp/news/detail/197

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9回目は漁師さんの登場です。
2016年11月26日

世界遺産登録をめざす沖の島近辺は昔から魚がたくさんとれる漁場だったといいます。
そんな沖の島近辺の海で代々漁師をやってるという鐘崎の漁師さん権田幸祐さんに漁師さんの生活を聞いていきます。
権田さんはまだ30代の若さ。漁師の世界に入ったのは高校時代からだといいます。
それまでは家の漁師の生活に興味がなかったそうですが、ある時、父から暇なら船に乗れといわれ初めて乗った船で、父が自在に船を操る逞しい仕事ぶりに憧れをもつようになり漁師の道に入ったそうです。
現在は共進丸という船にのってマキアミ漁でブリやアジ、サバなどをとっているそうです。
権田さん達漁師さんが港を出る時、豊漁を祈って必ず言う言葉は「トーエベッサン」。
勿論恵比寿さまのことですが、唐からやってきたから「トーエベッサン」というのか「当!エベッサン」なのかはっきりしたことはわからないそうですが、いずれにしても大きな声で「トーエベッサン」と船の上から一声いって沖へ向かうのだそうです。

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リポートでは、鐘崎のお父さんたちにインタビュー。各人で違う「とー、えべっさん」の発音や声を出す時と場所。
また、陸に残った家族たちのえべっさんへのお参りについて、権田要助さん、権田一良さん、宗岡勝彦さんに教わりました。
織旛神社入り口の恵比寿さまには、「と―、えべっさん」と言いながらガンガン打ちつけるための木と棍棒が置いてありますよ。

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8回目は壱岐国を紹介します。
2016年11月19日

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※写真は人面石
壱岐国から発掘された遺物は、現在大宰府の九州国立博物館で開催中の「海の王都・原の辻遺跡と壱岐の至宝」点でみることができます。
ここには壱岐の代表的な遺跡、原の辻遺跡とカラカミ遺跡の大変貴重な遺物が展示してあります。
中でも目をひく展示物は人面石。やわらかい凝灰石を使って人の顔の形を作ったものです。
目は大きく彫り込んで、口は貫通しています。中でも特徴敵なのは眉毛、片方の目に二筋、合計4つの眉が線状に彫ってあります。
15センチ程の大きさで、どうやら祭祀の時に使われたのではないかといわれます。
そして、土笛ではなく、ヤシ笛。大きさは土笛より一回り大きく、穴は上に4つ下に二つあけてあります。果たして弥生人はどんな曲を奏でていたんでしょう。
そして、カラカミ遺跡から出土した大変珍しいものがあります。
それはイエネコの骨です。
弥生人はネズミの襲来に手をやいていたそうで、そのネズミをとるために猫を運んできたのだろうといわれます。
大きさは現代の猫とあまり変わらないそうです。
これは一見の価値があります。
展示会は12月4日まで開かれています。

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10月に国の史跡に指定された、古賀市の船原古墳から見つかった「馬冑(ばちゅう)」。
馬の顔を覆うように張り合わされた金属板は、目の周りのふくらみ、鼻先から頬あてにかけての緩やかなカーブが見事です。
さらに固定させるためのバックルも残っていました。
当時の技術力の高さとともに、思わぬ保存状況(冑に杉材の痕跡が残っていた!)まで判明したのは、土ごと取り出して科学分析を行ったおかげ。
ちょっとだけ詳しく、クリーニングと復元作業を担当した九州歴史資料館学術調査室保存管理班の小林啓さんに伺いました。
馬冑は、12月11日まで古賀市歴史資料館「船原古墳展」で展示されています。

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7回目も糸島を歩きます。
2016年11月12日

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※写真は船繋ぎ石
糸島の残る神功皇后の足跡、今回は宇美八幡宮からスタートです。
一の鳥居の前には支石墓があって、ここからは秋のお祭りの神幸祭の時はかつて三台の神輿が深江の鎮懐石八幡宮まででていたそうです。
本殿は69段あるという急な階段を上ったところにあります。
本殿から左へ道を進みますと古墳がたくさん出現します。
その奥の方にある前方後円墳は仲哀天皇のもがりの宮だという伝承があります。
古墳の入り口には鳥居が作ってあり、古墳の上には石の祠もあります。
そして、この宇美八幡宮とつながりのある鎮懐石八幡宮は深江の海岸を少し入ったところにあります。
境内の前には神功皇后の船団が船をつないだという船繋ぎ石がありました。
そして、この神社のご神体となっているのが石です。
妊娠中だった神功皇后が、朝鮮出兵を終えて戻ってくるまで子供が産まれないよう祈った石です。

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福津市の新原奴山古墳群が、イルミネーションで飾られます。その名も「古墳 de イルミネーション」!
30号墳の周りを、竹灯や竹のオブジェなどと組み合わせたイルミネーションがきらめきます。
教えてくださった福津市郷づくり支援課長の花田孝信さんは、「今、30号墳の周りはコスモスとそばの花もきれいです。
夕焼けもきれいな場所ですから、長い時間楽しんで下さい」と、おっしゃってましたよ。
古墳群の世界遺産登録に向け、地元の皆さんが「あらためて、後世に残していくべく大切にしなくては…」と、考えての企画だそうです。1
1月25日(金)までの毎日、夕方17:45~21:00まで。

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