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第24回 太宰府 水城の謎
2015年3月15日
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太宰府の水城は天満宮に参拝に行く途中通りますから、よく知られた所。
水城は白村江の戦いで倭国が敗れ、唐と新羅の連合軍が攻めてくるのを想定して作られたものです。
土塁の長さ1.2キロ、高さ約10メートル、幅80メートルです。
東門と西門があります。
土塁は2重構造になっていて、下の下成土塁の下は敷粗朶という工法が使われ、当時太宰府にあった樹木33種類を使って作られていたそうです。
そして、その樹木を調べると初夏に土塁の作成にかかったのがわかったそうです。
ところが外堀に水がたたえられていましたが、その水はどうやって貯めたのかはまだわからない点が多いんだそうです。
三笠川の水位が低いので全て三笠川から流しこむのは無理なのではとみられているからだそうです。
天満宮といえば菅原の道真。道真もひょっとしてここを通ったのでは。そうなんです。
東門を通ったとみられるそう。そんな興味深い話を太宰府市教育委員会の井上信正さんは披露してくれました。
(津川洋二)

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鴻臚館跡展示館
古代の迎賓館=鴻臚館。京都、大阪そして福岡の3ヶ所にあったとされるなか、はっきり場所と規模が特定されているのは福岡だけ。
昔の平和台球場の敷地とその周辺あたりが鴻臚館跡になります。
大陸・半島から来た使節は、正式なものかどうか確認されるまでは鴻臚館に留め置かれ、その後、太宰府を経て都に送られます。
迎賓館としてだけでなく、入国管理局であり検疫所でもあったようです。
北館・南館いずれにも大規模なトイレが作られていたことからも、入国者への衛生管理の厳しさがうかがえます。
大正末期に鴻臚館の場所を特定した中山平次郎先生は、万葉集の歌をヒントにしたそうです。
いろんな逸話があって、それもおもしろい!鴻臚館跡調査事務所の池崎譲二さんに教えてもらいました。

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