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第23回 海幸・山幸の話は阿曇王権神話
2015年3月8日

福岡市東区和白、そして粕屋郡新宮町、志賀島付近一帯をかつて本拠地とした阿曇氏。
阿曇氏はかつて、玄界灘を船を縦横に操り操朝鮮半島との国々との交易に携わってきました。
その阿曇氏のことについて「海神宮訪問神話の研究」の著者、福岡市在住の宮島正人さんが大変興味ある説を展開しています。
古事記に記述されている文章「つくしの日向の橘の小門の阿波岐原に至りまして禊祓いたまいき」という箇所の解釈を「つくしは九州全体又は北部九州の、日に向かう地の立花山の尾頭山の青柳」と解釈。
立花山は、粕屋郡新宮町と久山町の境界にある山で、その丘陵につながっている山が標高122メートルの尾頭山であり、阿波岐原はかつての宿場町青柳である、という解釈です。
つまり、ここは阿曇氏が本拠地としたことが書いてあるという。
そして、それに続く文章に、ここで伊佐那岐大神が禊をして生まれたのが綿津見三神であり、これが阿曇氏の祖神であると続きます。
海人宮訪問神話というのは、海幸・山幸の説話。
これがどう阿曇氏の王権神話と結びつくのかじっくりお聞きください。
(津川洋二)

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八女茶の名付け親
明治時代に「このみ園」の初代・許斐久吉さんが、八女地域のお茶を『八女茶』と名前をつけてブランド化したのは、
八女の和紙を使った焙炉(ほいろ)で作った蒸し製の緑茶を他の(それまでの)釜入り茶などと区別して広めるためでした。
八女和紙があったからこそ生まれた八女茶は、輸出用のお茶でした。
江戸時代からのこのみ園の建物には輸出時に貼られたラベル=蘭字や資料が残っており、当時のお茶の審査場に取り付けられていた日除けが復元されていて、
八女茶資料館として見学できます。野口雨情や竹久夢二の直筆掛け軸もあるんですよねえ。
六代目許斐久吉を継いだ許斐健一さんのお話を聞きながら、海を超えた八女茶に思いをはせてみましょう。
ちなみに、許斐家のご先祖は、戦国時代まで宗像氏に仕えていた許斐一族だそうです。

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