TOP < 個別記事

第17回 安曇族の拠点 志賀島の歩射祭と胴結舞
2015年1月25日
150125-1

博多湾に浮かぶ陸続きの島、志賀島。ここはかつて海を生業とした海人族、安曇族の拠点となった島です。
ここに昔から伝わる弓を射る行事、歩射祭がいまでも昔からのしきたりを残しながら伝わっています。
ここでは、八という数字があらゆる行事の基本になっています。
弓を射る射手士は8人、神社で神楽を舞うのが八乙女の舞。射手士が奥津宮の神事で使うダイダイが8コといったように全ての行事が八と関係のある数字。
昔は1月2日から歩射祭の本番の15日までぎっしりとスケジュールが組まれていたそうですが、今はそれを2日間で行いますから射手士も大変です。
今年は1月17日と18日の二日間行われました。
17日早朝から行われのが胴結舞(どいまい)。これは弓の練習用の藁を束ねた的を今年初めて射手士になった人が背負い、神社から数10メートル離れた頓宮までを伊勢音頭を歌いながら練り歩く行事です。
なにしろ胴結の重さは100キロ以上もあり、一人ではとても背負うのは無理で、仲間の射手士に助けてもらいながらふらふらと練り歩くのです。
8人の射て士も全員ふらふらで、最後は宮司の家に矢を射って終わるのですが、その後は今度は島の北部、勝間海岸にある沖津宮の神事にのぞみます。
寒風吹きすさぶ中で、ふんどし1枚になって海に入り、古参から海の中にもぐってガラモという海草をとってこいと命じられ、海にもぐらなければならないのです。
そんな行事が終わってやっと翌日の歩射祭を迎えるのです。
(津川洋二)
umi_rep
志賀島をぐるっと周れる外周道路。あの道路は進駐軍が作らせたって、ご存知でした?
それまでは、島の中の各集落をつなぐ山の道しかなかったそうです。
戦後、雁の巣周辺に進駐軍の将校住宅施設などがおかれましたが、志賀島は格好のリゾートエリアだったんです。
でも、ぐるっと便利に周れる道がない!そこで国にプレッシャーをかけて外周道路を作らせた、と。
また、島と海の中道とをつなぐ部分を今は「道切」と書いたりしますが、元は「満切」でした。海が満ちると道が切れるから。
そんな地元ならではのお話を教えてくれたのが『しかのしま資料館』の上田一二美さん。
資料館にそろった民具や、元寇で元軍の兵士がかぶっていた鉄かぶとなどもぜひ見て下さい。
また、万葉集に納められた「志賀島」を歌った23首の和歌の資料、そして島に作られた10の歌碑情報もチェックできますよ~。

150125-2

放送内容を聞く(MP3)

 

トップ